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蓮浄寺略年表

年号(西暦)月 日事          項
永正14(1517)07/08乗心、蓮浄寺を飾東郡飾磨郷内中島村に開基す(姫路光源寺下)。
実如上人より本尊(開基仏)を下附される。
  了閑、蓮浄寺第2代住職を継職す。
大永元(1521) この頃、了忍、蓮浄寺第3代住職を継職す。
天正03(1575) この頃、観了、蓮浄寺第4代住職を継職す。
慶長02(1597)01/−木仏御免許並びに寺号御免許。
 10/16夜失火のため堂宇残らず焼失す。重要書類等もまた全焼す。
慶長03(1598) 焼失した堂宇の代わりに小堂を建立す。
この頃、御免許焼失により申替をなす。
  この頃、本願寺前住顕如上人の御影を下附される。
慶長07(1602)02/−亀山本徳寺に従い裏方(東派)に帰属か。
慶長09(1604) この頃、宜成、蓮浄寺第5代住職を継職す。
慶長14(1609)亀山本徳寺に従い表方(西派)に帰属か。
寛永03(1626) この頃、祐心、蓮浄寺第6代住職を継職す。
寛文04(1664)04/13祐心、木仏寺号御免許(申替)。
寂如上人より「高祖聖人御影」と「本願寺前住良如上人御影」を下附される。
寂如上人より「七高僧御影」と「聖徳太子御影」を下附される。
延宝元(1673) この頃、光源寺釈常澄、蓮浄寺の代務を執る。
延宝08(1680)07/15過去帳の記録を始める。
正徳02(1712) この頃、釈文暁、第7代住職を継職す。
 10/16火災により御免許書焼失し、申替をなす。
明和02(1765) この頃、釈宜俊、蓮浄寺第8代住職を継職す。
明和08(1771) この頃、釈旦成、蓮浄寺第9代住職を継職す。
寛政04(1792) この頃、釈皆応、蓮浄寺第10代住職を継職す。
 02/12皆応、印南郡魚崎村真浄寺智暹の『過去法号記』序を過去帳に書写す。
寛政11(1799)09/−無住となる。
文化07(1810)09/02姫路光源寺純教、蓮浄寺の代務を執る。
文化12(1815)09/27姫路光源寺衆徒純浄、入寺し第11代住職を継職す。
文化13(1816)07/14純浄、本堂の改築に着手。
文政07(1824)03/−本堂の棟上げを行う。08月本堂の屋根瓦を葺く。
 本堂の竣工なる。
文政10(1827)07/−純浄(?)、「当寺由緒書」を記す。
天保06(1835)08/05広如上人より「御絵伝」と「本願寺前住本如上人影像」を下附される。
天保07(1836) ○純了、蓮浄寺第12代住職を継職す。
嘉永07(1854)11/−純了、都倉西徳寺無住につき兼務中、西徳寺本堂地震により破損す。
安政03(1853) ○この年より6年間、純了長男純粋、安楽寺望月祐存に随す。
安政06(1859)02/17夜、本堂の賽銭が盗難に遭う。
 03/02-06親鸞聖人六百回忌を厳修す。
 05/−庫裡所々破損につき修繕す。
文久02(1862) ○純了長男純粋、この年より6年間肥後大光寺内田寛寧師に就き修学を修める。のち摂津利井鮮妙師に学ぶ。
慶応02(1866)08/−表門、雨漏りにつき屋根瓦を修繕す。
慶応03(1867)07/−純了弟俊丸(教聞)、亀山浄福寺に入寺す。
慶応04(1868)08/05亀山本徳寺広浄御連枝、蓮浄寺にお立ち寄り、法座を勤める。
明治05(1872)02/16-18聖徳太子千二百五十回忌法事を執行す。
 11/−苗字を「中嶋」と称する。飾磨県参事に届け出る。
明治06(1873)01/01この日より当寺過去帳に太陽暦を使用す。
 09/25明如上人より本願寺前住広如上人の御影を下附される。。
 11/06夜、賽銭箱が盗難に遭う。
明治08(1875)04/20純粋、蓮浄寺第十三代住職を継職す。
明治09(1876)05/20丹波氷上郡清雲寺の鐘を金物商より買い求める。
明治10(1877)06/10境内を取り広げる。
 11/04鐘楼堂を建立す。
明治11(1878)02/01日暹、下中島村に日蓮宗道場(現妙諦寺)を開基す。
明治15(1882)03/31堂班許可(本座二等)。
明治22(1889)02/03-07信明院殿(本如上人)五十回忌並びに信法院殿(広如上人)十七回忌を執行す。
明治28(1895)03/06純粋、新門様(鏡如上人)広島県下へ御巡化につき随行、説教を講じる。
明治29(1896)03/13純粋、信法院殿二十五年御忌御直諭披露のため執行所命により安藝國へ出張す。
明治30(1897)02/−蓮浄寺、顕如上人三百回忌並びに信法院殿二十五回忌を執行す。
 04/−蓮浄寺境内の敷石を新調す。
明治32(1899)03/−蓮浄寺本堂搏風(破風)工事に着手す。
 09/−純粋、執行所命により東京築地別院へ出張す。
 10/−台所・会談工事に着手す。
明治34(1901)01/−向拝左右の天水受および樋を新調す。
 02/22-26中宗大師(蓮如上人)四百回忌並びに謚號會を執行す。
 04/−後住純精、高知県監獄教悔師を拝命。
明治38(1905) この頃、本願寺前住明如上人御影を下付される。
明治41(1908)05/04境内地取り広げのための道路変更工事に着手す。
明治44(1911)02/12-16宗祖大師六百五十回忌御遠忌を執行す。
大正元(1912) 夏純粋、第十八回專精舍(行信教校の前身)夏講の副講を勤め帖外和讃を講ず。
大正06(1917)04/01元祖大師七百回遠忌・明如上人十三回忌を執行す。
大正09(1920)05/11第十二世純了十三回忌法要を厳修し、高浜の墓地に石碑を建立す。
大正10(1921)10/−梵鐘楼屋根葺き替え工事を行う。
大正11(1922)04/25純精、第十四代住職を継職す。
大正13(1924)03/−玄関を修復す。
昭和03(1930)03/−中島漁業組合、境内に石灯籠を新調す。
 11/10前住純粋、京都御所紫宸殿おける昭和天皇の即位礼に出席し金盃を賜る。
昭和05(1932)01/08本堂西側(客殿)を改築す。
 05/18前住純粋寂(85)。「宝寿院」の勝如法主御染筆院号を下附される。
昭和17(1942)01/17この頃より、軍用機献納費・本山割当軍献金などの献金が再三なされる。
 11/−連合仏教会の金属回収の呼びかけに応え、梵鐘と喚鐘を供出する。
昭和22(1947)03/26本堂を修繕す。
 10/04当寺にて蓮如上人四百五十回忌法要の御消息披露並びに趣意演達がなされる。
昭和23(1948)03/04梵鐘を新調する(日立築港造船所鋳造)。
 05/15梵鐘新調慶讃会を修す。
昭和25(1950)04/28-30蓮如上人四百五十回忌遠忌法要を厳修する。
昭和28(1953)02/22証如上人四百回忌・戦没者追悼法要を厳修する。
昭和31(1956)08/01山門改築工事・境内拡幅工事に着手する。起工式を行う。
昭和32(1957)04/21山門落慶法要を厳修する。
昭和33(1958)09/09当寺にて宗祖聖人七百回忌の御特授御消息披露を行う。
昭和34(1959)02/09当寺にて宗祖聖人七百回大遠忌法要の御消息披露並びに趣意演達を行う。
 03/12龍谷大学伝道部、当寺にて秋季伝道を行う。
  ○山門東の物置を廃し、二階建ての離れを新築する。
昭和35(1960)05/11御門主(勝如上人)、御巡教にて当寺にお立ち寄り。
昭和41(1966)07/23龍谷大学未踏座、当寺虫干会にて「出家とその弟子」を上演する。
昭和46(1971)04/01-03親鸞聖人七百回大遠忌を厳修する。
昭和57(1982)05/02鐘楼堂修復・親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年慶讃法要を厳修する。
昭和61(1986)04/−離れを増改築する。
平成63(1988)02/10後住正思、パソコン通信ホスト局「蓮浄寺・寺子屋ネット」を蓮浄寺内に開局する。
平成02(1990)11/−本堂修復・客殿新築工事に着工する。
平成03(1991)12/25後住正思、聖教検索ソフト「検索くん・PC-98版」を開発・配布、全国に普及する。
平成05(1993)05/05本堂修復落慶法要を厳修する。
平成07(1995)12/09梵鐘を新調、翌日梵鐘新調慶祝法要を厳修する。
平成08(1996)06/07後住正思、亀山本徳寺にて即如門主と接見、「検索くん・Windows版」を進呈する。
 08/01後住正思、インターネットに蓮浄寺のホームページを開設する。



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