本願寺の歴史


蓮如上人略年譜

年号(西暦)月日年齢事          項
応永22(1415)年02/251歳東山大谷に誕生する。
  27(1420)年12/286生母、大谷を去る。
永享元(1429)年 ○15一宗興隆の志を起こす。
  03(1431)年 夏17青蓮院で剃髪し、広橋兼郷の猶子となり、兼寿と称す。
  05(1433)年 ○19異母弟応玄誕生。
  06(1434)年05/1220『浄土文類聚鈔』を写す。
  08(1436)年08/中旬22京都金宝寺教俊に『三帖和讃』を写し与える。
  10(1438)年08/1524『浄土真要鈔』を写す。
  12/13 近江長沢福田寺■俊に『口伝鈔』を授ける。
  11(1439)年07/中旬25『他力信心聞書』を写す。
  12(1440)年10/1426第6代巧如上人示寂。
嘉吉元(1441)年09/0717『浄土真要鈔』を写す。
  02(1442)年 ○28第一子順如誕生。
文安03(1446)年01/中旬32『愚禿鈔』を写す。
  04(1447)年01/中旬33近江長沢福田寺■俊に『安心決定鈔』を写し与える。
 02/晦 『末灯鈔』を写す。
  05(1448)年10/1934『還相廻向聞書』を写す。
宝徳元(1449)年05/2835加賀木越光徳寺性乗に『三帖和讃』を写し与える。
 06/03 加賀木越光徳寺性乗に『安心決定鈔』を写し与える。
  ○ 存如上人とともに北陸に赴く。
  02(1450) ○36近江長沢福田寺■俊に『御伝鈔』を授ける。
享徳02(1453)年11/2239近江手原道場に『三帖和讃』を写し与える。
  03(1454)年04/1740近江安養寺浄性に『往生要集』延書を写し与える。
 07/08 越前の円金に『教行信証』延書を写し与える。
長禄元(1457)年06/1843第7代存如上人示寂。第8代継職。
 06/27 大和興福寺大乗院経覚から弔問使来山。
  02(1458)年02/0444京都金宝寺教俊に『三帖和讃』を写し与える。
 08/10 実如上人(本願寺第9代)誕生。
寛正元(1460)年03/2346興福寺大乗院経覚を訪問。
 06/- 近江金森の道西のために『正信偈大意』を著す。
 10/04 如円尼(継母)示寂。
  02(1461)年03/-47初めて『御文章』を書く。
 10/- 宗祖影像(安城御影)を修復する。
  ○ 宗祖二百回忌。
  04(1463)年06/0749興福寺大乗院尋尊・経覚、来山する。
  05(1464)年07/2950大乗院経覚の斡旋により三宝院義賢准后の金策に応じる。
  ○ 巧如上人二十五回忌を修す。
  06(1465)年01/0951比叡山衆徒、大谷本願寺を破却。
 01/中旬 宗祖影像を京都室町から金宝寺に写す。
 03/21 比叡山衆徒、再び大谷本願寺を破却。
文政元(1466)年11/2152近江金森で報恩講を修す。
  ○ 寺務を順如に譲る。
応仁元(1467)年02/上旬53宗祖影像を近江栗太郡安養寺から堅田本福寺へ移す。
  03/- 比叡山衆徒、本願寺を安堵して末寺銭を納めさせる。
  11/21 近江堅田本福寺で報恩講を修す。
  02(1468)年03/1254宗祖影像を本福寺から大津の道覚の道場に移す(一説に文明元年02/13)。
 03/28 実如上人(光養寺)に譲状を書く。
 03/29 比叡山衆徒、近江堅田を攻める。
 05/- 東国に赴く。
 10/中旬 紀伊高野を経て大和吉野を旅行する。
文明元(1469)年 春55大津の南別所に坊舎を建て、顕証寺と称す。
  03(1471)年04/上旬57大津南別所から京都を経て、越前吉崎に赴く。
 07/27 越前吉崎に坊舎を建てる。
  04(1472)年01/-58越前吉崎への諸人の群集を禁止する。
 10/04 如円十三回忌を修す。
  05(1473)年01/-59越前吉崎から藤島に移る。
 03/- 『正信偈和讃』刊行。
 09/27 下間蓮崇蒐集の『御文章』に序を書く。
 10/- 越前吉崎へ出張の牢人の対策を多屋衆に示す。
 11/- 門徒に制誡十一カ条を示す。
  ○ 吉崎坊舎への諸人の出入りを禁止する。
  06(1474)年03/2860越前吉崎の坊舎焼失する。
 07/26 加賀の宗徒、富樫政親と共に専修寺門徒・富樫幸千代と戦う。
 11/01 加賀の宗徒、守護富樫政親の部下と戦う。
  07(1475)年03/下旬61加賀の宗徒、富樫政親と戦う。
 07/16 東国の途次、越中瑞泉寺に至る(一説に文明05年)。
 08/21 吉崎を退去し、若狭小浜に着し、丹波・摂津を経て河内出口に至る。
  08(1476)年 ○62堺に堺御坊(信証院)を建てる。
  09(1477)年10/2763『教行信証大意』を写す。
 12/中旬 『浄土見聞集』を写す。
  10(1478)年01/2964山城山科に至り坊舎の造営を始める。
  ○ 近江近松御坊で越年する。
  11(1479)年 ○65山科に庭園を造り、御影堂用材50本を集める。
  12(1480)年02/0366御影堂造営を始める。
 10/15 安城御影を修復し、模本二幅を作る。
 11/18 宗祖影像を大津近松から山科に移す。
  13(1481)年01/2267山科に寝殿大門を立柱する。
 02/04 山科に阿弥陀堂造営を始める。
 06/11 存如上人二十五回忌を修す。
 06/- 仏光寺経豪帰入し、興正寺の号を復す。
  14(1482)年01/1768山科に御影堂大門の造立を始める。
 06/15 阿弥陀堂の仏壇に本尊を安置する。
  15(1483)年05/2969順如示寂。
 08/29 摂津有馬に湯治。
  16(1484)年09/1670聖徳太子を図す。
  17(1485)年04/0471覚如上人の十字の名号本尊を修復する。
  18(1486)年03/0872河内出口から紀伊に向かう。
長享元(1487)年03/0673越中守護畠山政長、青蓮院を通して加賀・越中門徒の所領押妨停止を求める。
  02(1488)年05/2674加賀の宗徒、富樫政親を攻める。
 07/04 加賀の宗徒の乱暴を制す。
延徳元(1489)年08/2875寺務を実如上人に譲り、南殿に隠居する。
 10/20 『教行信証大意』を添削する。
  02(1490)年10/2876再び実如に譲状を書く。
明応元(1492)年07/1378存如上人の影像を修復する。
  02(1493)年 ○79錦織寺勝恵、帰入し勝林坊と号す。
  03(1494)年11/0880摂津堺北荘山口信証院の本尊を定める。
  05(1496)年09/2482摂津大坂の地を選定する。
 09/29 大坂の御坊(石山御坊)鍬初。
  06(1497)年11/下旬83大坂の御坊、完成す。
  ○ 報恩講を大坂と富田で修す。
  07(1498)年04/1784病気のため医師半井明英等の診察を受ける。
 05/07 宗祖影像に訣別のために上山、やがて堺へ帰る。
 11/21 報恩講のために誓賢をして『三帖和讃』を写させる。
  08(1499)年02/1685空善を山科へ遣し葬所を用意させる。
 02/20 大坂から山科に到着する。
 03/09 実如上人・蓮綱・蓮誓・蓮淳・蓮悟に後事を託す。
 03/25 蓮如上人示寂。
 03/26 荼毘。