本願寺の歴史


顕如上人略年譜

年号(西暦)月日年齢事          項
天文12(1543)年01/061歳誕生(幼名茶々、諱光佐、父証如上人、母増進院如従尼)。
 01/12 髪垂。
 12/17 髪置。
天文13(1544)年07/302細川晴元の息女と婚約。
天文15(1546)年05/254妹(顕妙、本徳寺教什室東向)誕生。
天文16(1547)年01/145深曽木の儀。
天文20(1551)年02/059帯直の儀。
天文22(1553)年10/0211証如上人・順興寺実従・教行寺実誓らから聖教を学び始める。
 11/06 眉直・歯黒の儀。
天文23(1554)年08/1212本願寺で得度。
 08/13 父証如上人寂(39)、継職。
弘治元(1555)年04/1213法眼に直叙される。
弘治03(1557)年04/1715婚儀(妻教光院如春尼、六角義賢猶子、細川晴元息女、実は転法輪三条公頼の息女、のち西園寺公朝猶子)。
永禄元(1558)年07/1716母如従尼寂(37)。
 09/16 長男教如上人(諱光寿)誕生。
  ○ この年、あるいは権僧正なるか。
永禄02(1559)年12/1517門跡に列せられる。
永禄04(1561)年01/18-2819宗祖三百回忌を修す。
 04/11 朝廷へ僧正背任の拝任の礼をする。
永禄06(1563)年02/-21和泉・紀伊を歴遊。
永禄07(1564)年01/2222次男顕尊上人(諱佐超)誕生。
 12/26 石山本願寺の諸堂舎焼失。
永禄08(1565)年02/0323石山本願寺阿弥陀堂立柱。
 03/27 武田信玄と盟約する。
 04/22 避難先の興正寺から還住。
 09/26 石山本願寺御影堂立柱。
 11/18 石山本願寺両堂移徙。
永禄09(1566)年04/2724六角義賢と盟約する。
永禄10(1567)年09/2625顕尊上人を興正寺証秀上人の法嗣とする。
永禄11(1568)年10/-26織田信長に将軍家再興費五千貫を納める。
元亀元(1570)年09/1228織田信長と戦う(石山戦争の開始)。
元亀02(1571)年02/1829祖母慶寿院鎮永尼没(79)。
 06/11 加越和解の証として、朝倉義景の息女を教如上人の室とすることを約す。
元亀03(1572)年09/1030足利義昭・武田信玄の斡旋により織田信長と和睦(第1次)。
天正元(1573)年10/1131息女没(14)。
天正03(1575)年 冬33三好康長・松井有閑を介し織田信長と和睦(第2次)。
天正04(1576)年04/1334織田軍、石山に来襲し、籠城を始める。
天正05(1577)年07/1935三男准如上人(諱光昭)誕生。
天正06(1578)年02/-36別所長治と盟約する。
 10/17 荒木村重と盟約する。
天正08(1580)年03/1738朝廷の斡旋により織田信長と講和(石山戦争の終結)。
 閏03/- 教如上人、石山本願寺退出を拒否。
 04/09 石山を退去し、紀伊鷺森へ赴く。
 08/02 教如上人、石山を退去する。石山本願寺炎上。教如上人を義絶する。
天正10(1582)年06/2740朝廷の斡旋により、教の上人と和解。
天正11(1583)年閏01/2241鷺森を出発。24日有馬へ着き入湯、02月11日京都へ着き見物、19日宇治を見物し奈良着、20日春日社参詣、21日三輪・泊瀬を経て今井着、22日吉野塚貝本善寺着、23日吉野山を見物し下市願行寺着、24日今井・河内山田を経て堺慈光寺着、25日鷺森へ帰る。
 07/04 和泉貝塚へ寺基を移す。
 09/25 貝塚を出発し小浜着、26日有馬へ着き入湯、10月14日有馬を出発し小浜着、15日堺御坊着、16日貝塚へ帰る。
天正12(1584)年05/2042竹田法印の診察を受ける。
 08/10 貝塚に仁和寺守理法親王の訪問を受ける。
天正13(1585)年05/0343大坂天満の地を豊臣秀吉から寄進される。
 05/07 通仙軒の診察を受ける。
 06/23 河内天野山金剛寺を見物。
 08/30 天満へ寺基を移す。
 09/06 天満阿弥陀堂移徙。
 09/23 湯治に行き、10月08日に帰る。
 11/25 権僧正から大僧正に転任。
天正14(1586)年04/0344湯治に出発し大和今井へ着く、06日下市を出発し、08日十津川に着き湯治、27日に帰る。
 07/28 豊臣秀吉から和泉築尾村内280石の地を寄進される。
 08/03 天満御影堂移徙。
 09/28 有馬に行き湯治、10月14日に帰る。
 11/03 正親町天皇の譲位を見物のため京都に行く。
 11/13 准后に任ぜられる。
   参内する。
 11/23 通仙院の診察を受ける。以降、翌年正月にかけて祐庵・一鴎・道三・上池院の薬を服用する。
天正15(1587)年12/0645准如上人(阿茶)に譲状を書く。
天正17(1589)年12/0147豊臣秀吉から大谷道場門前地子を免除される。
 12/10 豊臣秀吉から山城山科郷内旧領20石を寄付される。
天正18(1590)年02/0548豊臣秀吉から天満寺内町屋敷地子500石を寄付される。
 04/25 京都へ行く。聚楽第に滞在か。
 06/03 京都へ行く。聚楽第に滞在か。
 07/- 初めて絵所を置く。
天正19(1591)年08/0549京都堀川に寺基を移す。
文禄元(1592)年07/0450京都阿弥陀堂移徙。
 11/18 京都御影堂慶讃。
 11/20 中風を病む。
 11/24 示寂(50、信楽院)。
 12/10 七条河原で荼毘。