本願寺の歴史


寺基移転関係年表

年号(西暦)月日事          項
弘長02年(1262)11/28宗祖聖人寂(90)。
文永09年(1272) 冬 宗祖聖人の遺骨を鳥辺野の北大谷から、吉水の北に移し、廟堂を建立する。
建治03年(1277)09/22覚信尼、大谷敷地を宗祖の墓所として寄進する。
永仁04年(1296)07/17東国の門弟等、大谷南地を買得する。
延慶02年(1309)07/- 唯善、大谷影堂の宗祖影像を奪取し、影堂を破却する。
延慶03年(1310) ○ 顕智等、大谷の影像を復旧する。
応長元年(1311) ○ 法智以下の門弟等、大谷の堂舎・庵室を再造する。
正和元年(1312) 夏 大谷影堂に「専修寺」の額を掲げ、延暦寺の抗議により、秋に撤去する。
元亨元年(1321)02/- 本願寺号の初見。
建武03年(1336) ○ 足利尊氏、九州から東上。その兵火により大谷影堂が炎上する。
歴応元年(1338)11/- 新たに御堂を36貫文で買得し建立する。
明徳元年(1390) ○ この頃までに(善如上人の晩年か綽如上人の代)、大谷に阿弥陀如来像を安置する。
永享10年(1438) ○ この頃、大谷に御影堂・阿弥陀堂の両堂を整備。
寛正06年(1465)01/09延暦寺西塔の衆徒、大谷本願寺を破却する。その後、宗祖影像を京都定法寺・壬生・室町と移し、さらに金宝寺(同年01月中旬)、近江金森(同年中より)・栗本(文正元年冬)・堅田(応仁元年02月上旬)・大津(応仁02年03月12日)等に移す。
文明元年(1469) 春 大津に近松坊舎(顕証寺)を建立し、宗祖影像を安置する。
文明03年(1471)07/27越前吉崎に坊舎を建立する。
文明06年(1474)03/28越前吉崎の坊舎が焼失する。まもなく復興。
文明07年(1475)08/下旬越前吉崎を退去し、若狭小浜に着し、河内出口に至る。
文明10年(1478)01/29山城山科に坊舎の造営を始める。
文明12年(1480)03/28山科御影堂上棟。
 11/18宗祖影像を大津近松から山科へ移す。
文明13年(1481)04/28山科阿弥陀堂上棟。
明応05年(1496)09/29大坂石山坊舎鍬初。
天文元年(1532)08/24六角定頼・法華宗徒等、山科本願寺を焼く。08月27日宗祖影像を上醍醐水本報恩院へ、09月13日宇治田原へ、翌天文02年07月25日石山坊舎へ移す。
天文11年(1542)07/26石山阿弥陀堂上棟。11月19日本尊を安置する。
永禄07年(1564)12/26石山本願寺の諸堂舎焼失。
永禄08年(1565)02/03石山本願寺阿弥陀堂立柱。
 09/26石山本願寺御影堂立柱。
 11/18石山本願寺両堂移徙。
天正08年(1580)04/09石山を退去し、紀伊鷺森へ赴く。
天正11年(1583)07/04和泉貝塚へ寺基を移す。
天正13年(1585)05/03大坂天満の地を豊臣秀吉から寄進される。
 08/30天満へ寺基を移す。
 09/06天満阿弥陀堂移徙。
天正14年(1586)08/03天満御影堂移徙。
天正18年(1590)01/- 豊臣秀吉、本願寺の京都移転を命じる。
天正19年(1591)閏01/05豊臣秀吉、京都七条坊門堀川の地を寄進する。
 08/05京都堀川へ寺基を移す。
文禄元年(1592)07/04京都阿弥陀堂移徙。
 11/18京都御影堂慶讃。
文禄05年(1596)閏07/13地震のため諸堂が倒壊する。
慶長02年(1597)10/13御影堂上棟、11月03日移徙。
元和03年(1617)12/20浴室から出火し両堂その他を焼失する。
元和04年(1618)02/04宗祖影像を仮御堂へ移し、02月21日仮御堂を拡張。
 10/15阿弥陀堂上棟、11月17日移徙。
 11/18本堂を茶所へ移し、宗祖影像を阿弥陀堂へ安置する。
寛永10年(1633)06/11御影堂再建釿始め。同12年07月26日立柱、同13年08月02日上棟、同13年08月19日宗祖影像を遷座する。
寛延02年(1749)03/15阿弥陀堂再建釿始め、宝暦08年(1758)09月立柱、同09年04月09日上棟、同10年03月26日遷座。
明治04年(1871)01/- 政府より境内の上地を命じられる。
昭和61年(1986)07/04本圀寺跡地を購入する。