十二禮作法


 この作法は、明治43年に刊行された本願寺派の旧声明集である『梵唄集』所載の「浄土三昧法」に依って作られたものである。また、もう一つ古い声明集である『龍谷唄策』にも「浄土三昧法」として収められている。

(1)總禮頌

原文人能念是佛 無量力功徳
即時入必定 是故我常念
和訳人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、
即の時に必定に入る。このゆえにわれ常に念じたてまつる。
出拠龍樹大士 『易行品』弥陀章『真聖全』1・260-3
備考『梵唄集』所載の「浄土三昧法」の「総礼頌」に相当するが、本文は『龍谷唄策』中「入出二門偈作法」の「総礼伽陀」に依る。譜については無量寿経作法の「総礼頌」を参照。


(2)至心礼

原文至心敬礼 南無常住佛
至心敬礼 南無常住法
至心敬礼 南無常住僧
和訳心を至して敬礼し、常住の仏に南無したてまつる。
心を至して敬礼し、常住の法に南無したてまつる。
心を至して敬礼し、常住の僧に南無したてまつる。
出拠善導大師 『法事讃』上巻『真聖全』1・566-4
備考譜と作法については観無量寿経作法の「至心礼」を参照。


(3)十二禮

原文稽首天人所恭敬 阿彌陀仙兩足尊
在彼微妙安樂國 無量佛子衆圍繞
 (以下略)
和訳▼天・人に恭敬せられたまふ、阿弥陀仙両足尊に稽首したてまつる。かの微妙の安楽国にましまして、無量の仏子衆に囲繞せられたまへり。▼金色の身、清くして、山王のごとし。奢摩他の行は、象の歩むがごとし。両目の清きこと、青蓮華のごとし。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼面よく円浄なること、満月のごとし。威光はなほ、千の日月のごとし。声は、天鼓と倶翅羅のごとし。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼観音頂戴の冠中に住したまふ。種々の妙相、宝をもつて荘厳せり。よく外道と魔との■慢を伏す。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼無比・無垢にして、広く清浄なり。衆徳皎潔なること虚空のごとし。所作の利益に自在を得たまへり。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼十方に名の聞ゆる菩薩衆、無量の諸魔、つねに讃歎す。もろもろの衆生のために、願力をもつて住したまふ。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼金を底とし、宝を間へたる池に生ぜる華、善根の成ぜるところの妙台座あり。かの座の上にして山王のごとし。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼十方より来れるところのもろもろの仏子、神通を顕現して安楽に至り、尊厳を瞻仰してつねに恭敬す。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼諸有は無常・無我等なり。また水月・電の影・露のごとし。衆のために法を説くに名字なし。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼かの尊の仏刹には悪の名なし。また、女人と悪道との怖れなし。衆人、心を致してかの尊を敬ふ。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼かの尊の無量方便の境には、諸趣と悪知識あることなし。往生すれば、退せずして菩提に至る。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。▼われ、かの尊の功徳の事を説くに、衆善無辺にして海水のごとし。獲るところの善根清浄なれば、衆生に回施してかの国に生ぜしめん。
出拠龍樹菩薩 『十二礼』『真聖全』1・266-3/『註釈版』1441-2
引用善導大師 『往生礼讃』中夜讃『真聖全』1・662-7
備考『梵唄集』所載の「浄土三昧法」の「讃弥陀偈(十二礼文」に相当する。譜については広文類作法の「正信偈」を参照


(4)念仏

原文阿弥陀佛 阿弥陀佛  阿弥陀佛 阿弥陀佛  
阿弥陀佛 阿弥陀佛  阿弥陀佛 阿弥陀佛
阿弥陀佛 阿弥陀佛  阿弥陀佛
和訳
出拠
備考『梵唄集』所載の「浄土三昧法」の「合殺」に相当する。譜については無量寿経作法の「念仏」を参照


(5)回向

原文願以此功徳 平等施一切
同發菩提心 往生安樂國
和訳願はくはこの功徳をもつて、平等に一切に施し、
同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん。
出拠善導大師 『観経疏』玄義分 「帰三宝偈」終わりの4句 『真聖全』1・442-2/『註釈版』1453-1 
備考『梵唄集』所載の「浄土三昧法」の終わりの「伽陀」に相当する。『梵唄集』の「伽陀」の本文は「世尊我一心・帰命盡尽十方・無碍光如来・願生安楽國」である。譜に関しては広文類作法の「回向」を参照