二門偈作法


 この作法は、明治43年に刊行された本願寺派の旧声明集である『梵唄集』所載の「入出二門偈作法」に依って作られたものである。また、もう一つ古い声明集である『龍谷唄策』にも「入出二門偈」として収められている。

(1)頌讃

原文如來興世之正説 奇特最勝之妙典
一乘究竟之極説 速疾圓融之金言
十方稱讃之誠言 時機純熟之眞教
和訳如来興世の正説、奇特最勝の妙典、
一乗究竟の極説、速疾円融の金言、
十方称讃の誠言、時機純熟の真教なり。
出拠宗祖 『教行信証』教巻『真聖全』2・4-10/『註釈版』138-12
備考譜については大師影供作法の「頌讃」を参照
『梵唄集』の「入出二門偈作法」では現行の「頌讃」の部分に「勸請」が、『龍谷唄策』の「入出二門偈」では「総礼伽陀・三礼・如来唄・勸請」があり、次の「入出二門偈・八句念仏」へと続く。


(2)入出二門偈

原文世親菩薩依大乘 修多羅眞實功徳
一心歸命盡十方 不可思議光如來
 (以下略)
和訳▼世親菩薩(天親)は、大乗修多羅の真実功徳によりて、▼一心に尽十方不可思議光如来に帰命せしめたまへり。▼無碍の光明は大慈悲なり。この光明はすなはち諸仏の智なり。▼かの世界を観ずるに辺際なし、究竟せること広大にして虚空のごとし。▼五つには仏法不思議なり。このなかの仏土不思議に、▼二種の不思議力まします、これは安楽の至徳を示すなり。▼一つには業力、いはく法蔵の大願業力に成就せられたり。▼二つには正覚の阿弥陀法王の善力に摂持せられたり。▼女人・根欠・二乗の種、安楽浄刹に永く生ぜず。▼如来浄華のもろもろの聖衆は、法蔵正覚の華より化生す。▼諸機は本すなはち三三の品なれども、いまは一二の殊異なし。▼同一に念仏して別の道なければなり、なほラリの一味なるがごとくなり。▼かの如来の本願力を観ずるに、凡愚、遇うて空しく過ぐるものなし。▼一心専念すれば、すみやかに真実功徳の大宝海を満足せしむ。▼菩薩は五種の門に入出して、自利利他の行成就したまへり。▼不可思議兆載劫に、漸次に五種の門を成就したまへり。▼なんらをか名づけて五念門とすると。礼と讃と作願と観察と回となり。▼いかんが礼拝す、身業に礼したまひき。阿弥陀仏正遍知の、▼もろもろの群生を善巧方便して、安楽国に生ぜん意をなさしめたまふゆゑなり。▼すなはちこれを入第一門と名づく、またこれを名づけて近門に入るとす。▼いかんが讃嘆する、口業に讃じたまひき。名義に随順して仏名を称せしめ、▼如来の光明智相によりて、実のごとく修し相応せんと欲ふゆゑなり。▼すなはちこれ無碍光如来の、摂取選択の本願なるがゆゑなり。▼これを名づけて入第二門とす。すなはち大会衆の数に入ることを獲るなり。▼いかんが作願する、心につねに願じたまひき。一心専念してかしこに生れんと願ぜしむ。▼蓮華蔵世界に入ることを得て、実のごとく奢摩他を修せんと欲はしむ。▼これを名づけて入第三門とす。またこれを名づけて宅門に入るとす。▼いかんが観察する、智慧をして観ぜしめたまひき。正念にかしこを観じて、実のごとく、▼毘婆舎那を修行せしめんと欲ふがゆゑに。かの所に到ることを得れば、すなはち、▼種々無量の法味の楽を受用せしむ。すなはちこれを入第四門と名づく。▼またこれを名づけて屋門に入るとす。菩薩の修行成就とは、▼四種は入の功徳を成就したまへり、自利の行を成就したまへりと、知るべし。▼第五は出の功徳を成就したまへり。菩薩の出第五門は、▼いかんが回向する、心に作願したまひき。苦悩の一切衆を捨てずして、▼回向を首めとして、大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに、功徳を施したまふなり。▼かの土に生れをはりて、すみやかに疾く奢摩他・毘婆舎那、▼巧方便力成就することを得をはりて、生死の園・煩悩の林に入りて、▼応化身を示し、神通に遊ぶ、教化地に至りて群生を利せしむ。▼すなはちこれを出第五門と名づく、園林遊戯地門に入るなり。▼本願力の回向をもつてのゆゑに、利他の行成就したまへりと、知るべし。▼無碍光仏、因地のとき、この弘誓を発し、この願を建てたまふ。▼菩薩すでに智慧心を成じ、方便心・無障心を成じ、▼妙楽勝真心を成就して、すみやかに無上道を成就することを得たまへるなり。▼自利と利他との功徳を成ずる、すなはちこれを名づけて入出門とすとのたまへり。▼婆薮槃頭菩薩(天親)の『論』(浄土論)、本師曇鸞和尚註したまへり。▼願力成就を五念と名づく、仏をしていはばよろしく利他といふべし。▼衆生をしていはば他利といふべし。まさに知るべし、いままさに仏力を談ぜんとす。▼如実修行相応といふは、名義と光明と随順するなり。▼この信心をもつて一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人、▼煩悩を断ぜずして涅槃を得、すなはちこれ安楽自然の徳なり。▼淤泥華といふは、『経』(維摩経)に説いてのたまはく、高原の陸地には蓮を生ぜず。▼卑湿の淤泥に蓮華を生ずと。これは凡夫、煩悩の泥のうちにありて、▼仏の正覚の華を生ずるに喩ふるなり。これは如来の本弘誓▼不可思議力を示す。すなはちこれ入出二門を他力と名づくとのたまへり。▼道綽和尚、解釈していはく、『月蔵経』にのたまはく、わが末法に、▼行を起し道を修せんに一切の衆、いまだ一人も獲得するものあらじと。▼ここにありて心を起し行を立つるは、すなはちこれ聖道なり、自力と名づく。▼当今は末法、これ五濁なり、ただ浄土のみありて通入すべしと。▼今の時、悪を起し衆罪を造る、恒常なること暴風駛雨のごとし。▼本弘誓願に名を称せしむるは、これ穢濁悪の衆生のためなり。▼これをもつて諸仏、浄土を勧めたまへり。たとひ一生悪業を造れども、▼三信相応すればこれ一心なり、一心は淳心なれば如実と名づく。▼もし生ぜずは、この処なけん。かならず安楽国に往生を得れば、▼生死すなはちこれ大涅槃、すなはち易行道なり、他力と名づくと。▼善導和尚、義解していはく、念仏成仏する、これ真宗なり。▼すなはちこれを名づけて一乗海とす、すなはちこれをまた菩提蔵と名づく。▼すなはちこれ円教のなかの円教なり、すなはちこれ頓教のなかの頓教なり。▼真宗に遇ひがたし、信を得ること難し、難のなかの難、これに過ぎたるはなし。▼釈迦・諸仏、これ真実慈悲の父母なり。種々善巧方便をもつて、われらが無上の真実信を発起せしめたまふ。▼煩悩を具足せる凡夫人、仏願力によりて信を獲得す。▼この人はすなはち凡数の摂にあらず、これは人中の分陀利華なり。▼この信は最勝希有人なり、この信は妙好上上人なり。▼安楽土に到れば、かならず自然に、すなはち法性の常楽を証せしむとのたまへり。
出拠宗祖 『入出二門偈』 『真聖全』2・280-7/『註釈版』545-3 
備考『梵唄集』所載の「入出二門偈作法」の「二門偈」を、本文・譜とも似そのまま依用したもの。譜については広文類作法の「正信偈」を参照
『龍谷唄策』の「入出二門偈」は本譜「五念門」の譜が附されており、本来これが正式であったが、次第に略譜が用いられるようになったようである。ちなみに、木辺派・高田派ではこれを節をつけずに唱え、興正派の「入出二門偈」魚山「声明懺法」の「六根段」の譜を用いている。なお「二門偈」は『声明品集』にも見られる。


(3)念佛

原文南无阿弥陀佛 南无阿弥陀佛 南无阿弥陀佛 南无阿弥陀佛  
南无阿弥陀佛 南无阿弥陀佛 南无阿弥陀佛 南无阿弥陀佛
和訳
出拠
備考『梵唄集』所載の「入出二門偈作法」の「八句念仏」をそのまま用いたもので、譜は天台声明「如法念仏」の「八句念仏」甲様に同じである。「八句念仏」には乙様もあり、博士はまた別である。現行本山専用として用いる『声明集』の「報恩講作法(第一種)」では、この「八句念仏」の甲乙の譜を依用している。この「八句念仏」は、元禄2年、第14代寂如宗主の粗忌に、従来の坂東節の念仏を止めて「八句念仏」および「和讃」に改正されたものである。


(4)回向句

原文聞眞實功徳 獲無上信心
則得大慶喜 獲不退轉地
和訳真実の功徳を聞き、無上の信心を獲れば、
すなはち大慶喜を得て、不退転地を獲るなり。
出拠宗祖 『浄土文類聚鈔』結嘆『真聖全』2・454-10/『註釈版』497-6
備考広文類作法の「回向」を参照
なお、『梵唄集』では「八句念仏」が終わると、導師降礼盤・還着本座・退出となっており、『龍谷唄策』では「八句念仏」の次に「六種」が入り、回向句に相当する「伽陀」に続く。