大師影供作法


 この作法は、明治43年に刊行された本願寺派の旧声明集である『梵唄集』所載の「大師影供(えいく)作法」に依って作られたものである。「大師影供作法」は、魚山の「伝教大師御影供(みえく)」に依るもので、明治21年に刊行された本願寺派の声明集『龍谷唄策』にも「大師影供」として収められている。
 天台大師智ギの報恩謝徳の法会として「画讃」を中心に組み立てられた「天台大師御影供」という法式があるが、これに準じて作られた伝教大師最澄の報恩謝徳の法会が「伝教大師御影供」である。天台大師の「画讃」に対して、伝教大師の讃は「廟讃(びょうさん)」といわれる。

(1)五眼讃

原文肉眼清徹 靡不分了  天眼通達 無量無限
法眼觀察 究竟諸道  慧眼見眞 能度彼岸
佛眼具足 覺了法性
和訳肉眼は清徹にして分了ならざることなし。天眼は通達して無量無限なり。
法眼は観察して、諸道を究竟す。慧眼は真を見てよく彼岸に度す。
仏眼は具足して法性を覚了す。
出拠康僧鎧訳 『無量寿経』下巻『真聖全』1・29-5/『註釈版』50-14
備考『声明品集』に用いられているもので、宝暦11年(1761)宗祖五百回忌に際し正依の経文に依り新制された。譜は魚山声明の「四智梵語讃」乙様の譜を移して作られたもので、『龍谷唄策』の「大師影供」にも依用されている。天台においても「四智梵語讃」乙様は伝供に、「漢語讃」は着座讃として依用されている。盤渉調となっているが本来は黄鐘調であった。魚山でも現行は盤渉調である。


(2)頌讃

原文如來興世之正説 奇特最勝之妙典
一乘究竟之極説 速疾圓融之金言
十方稱讃之誠言 時機純熟之眞教
和訳如来興世の正説、奇特最勝の妙典、
一乗究竟の極説、速疾円融の金言、
十方称讃の誠言、時機純熟の真教なり。
出拠宗祖 『教行信証』教巻『真聖全』2・4-10/『註釈版』138-12
備考『梵唄集』所載の「入出二門偈作法」の「勧請」の譜に依るが、元は魚山声明の「勧請」の譜を移したもの。壱越調の律曲であるが、本来は黄鐘調の中曲であった。
声明集の譜を見ると、(1)「之妙典」の「妙」の博士の最後が上がっている。(2)「一乗究竟」より高くなっている(「乗」や「竟」の博士を見ると明らかに宮の高さにある)など、勤行要集と異なる特徴があるが、本来の博士はこの声明集のものと不異同様である。


(3)畫讃

原文韜名愚禿畏人知 高徳彌彰澆季時
誰了如來興世意 直標淨典屬今師
和訳名を愚禿に韜して人の知るを畏る、高徳いよいよ彰わる澆季の時、
誰かしらん如来興世の意、直ちに浄典を標して今師に属す。
出拠大谷本廟の祖壇に奉懸される宗祖御影の讃文。14代寂如宗主の作。
備考譜は明治11年覚秀により魚山声明の「授地偈」の前三句後一句の博士が移された。本来は下無調で、平調・壱越調・盤渉調も用いられた。『梵唄集』の「大師影供作法」に依用され、そのまま現行に至っている。なお、画讃を唱詠することは、魚山声明の伝教大師影供作法の例に依る。
本願寺歴代の遠忌法要には、それぞれの画讃が唱えられることもあるが、この譜は魚山声明の「諸天漢語讃」や切声法華懺法の「供養文」に依る。


(4)念佛正信偈

原文西方不可思議尊 法藏菩薩因位中  
超發殊勝本弘誓 建立無上大悲願
 (以下略)
和訳▼西方不可思議尊、法蔵菩薩因位のうちに▼殊勝の本弘誓を超発して、無上大悲の願を建立したまふ。▼思惟摂取するに五劫を経たり。菩提の妙果、上願に酬ひたり。▼本誓を満足するに十劫を歴たり。寿命延長にして、よく量ることなし。▼慈悲深遠にして虚空のごとし、智慧円満して巨海のごとし。▼清浄微妙無辺の刹、広大荘厳等具足せり。▼種々の功徳ことごとく成満す。十方諸仏の国に超逾せり。▼あまねく難思・無碍光を放ちて、よく無明大夜の闇を破したまふ。▼智光明朗にして慧眼を開く。名声、十方に聞えずといふことなし。▼如来の功徳はただ仏のみ知りたまへり。仏、法蔵を集めて凡愚に施す。▼弥陀仏の日、あまねく照耀す。すでによく無明の闇を破すといへども、▼貪愛・瞋嫌の雲霧、つねに清浄信心の天に覆へり。▼たとへばなほ日月・星宿の、煙霞・雲霧等に覆はるといへども、▼その雲霧の下明らかにして闇なきがごとし。信知するに日月の光益に超えたり。▼かならず無上浄信の暁に至れば、三有生死の雲晴る、▼清浄無碍の光耀朗らかにして、一如法界の真身顕る。▼信を発して称名すれば光、摂護したまふ、また現生無量の徳を獲。▼無辺・難思の光不断にして、さらに時処諸縁を隔つることなし。▼諸仏の護念まことに疑なし、十方同じく称讃し悦可す。▼惑染・逆悪斉しくみな生じ、謗法・闡提回すればみな往く。▼当来の世、経道滅せんに、ことにこの経を留めて住すること百歳せん。▼いかんぞこの大願を疑惑せん、ただ釈迦如実の言を信ぜよ。▼印度西天の論家、中夏(中国)・日域(日本)の高僧、▼大聖世雄(釈尊)の正意を開き、如来の本誓機に応ずることを明かす。▼釈迦如来楞伽山にして、衆のために告命したまふ。南天竺(南印度)に、▼龍樹菩薩、世に興出して、ことごとくよく有無の見を摧破せん。▼大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。▼『十住毘婆沙論』を造りて、難行の険路、ことに悲憐せん、▼易往の大道広く開示す。恭敬の心をもつて執持して、▼名号を称し疾く不退を得べし。信心清浄なればすなはち仏を見たてまつると。▼天親菩薩『論』(浄土論)を作りて説かく、修多羅によりて真実を顕す。▼横超の本弘誓を光闡し、不可思議の願を演暢したまへり。▼本願力の回向によるがゆゑに、具縛を度せんがために一心を彰す。▼功徳の大宝海に帰入すれば、かならず大会衆の数に入ることを獲。▼蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち寂滅平等身を証せしむ。▼煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すと。▼曇鸞大師をば、梁の蕭王、つねに鸞(曇鸞)の方に向かひて菩薩と礼す。▼三蔵流支浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰す。▼天親菩薩の『論』(浄土論)を註解して、如来の本願、称名に顕す。▼往還の回向は本誓による。煩悩成就の凡夫人、▼信心開発すればすなはち忍を獲、生死すなはち涅槃なりと証知す。▼かならず無量光明土に到りて、諸有の衆生みなあまねく化すと。▼道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土に通入すべきことを明かせり。▼万善は自力なれば勤修を貶す、円満の徳号、専称を勧むと。▼三不三信の誨慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。▼一生悪を造れども、弘誓に遇へば、安養界に至りて妙果を証すと。▼善導独り仏の正意にあきらかにして、深く本願によりて真宗を興したまふ。▼定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号、因縁を示す。▼涅槃の門に入りて、真心に値へば、かならず信・喜・悟の忍を獲。▼難思議往生を得る人、すなはち法性の常楽を証すと。▼源信広く一代の教を開きて、ひとへに安養に帰して一切を勧む。▼諸経論によりて教行を撰びたまふ。まことにこれ濁世の目足たり。▼得失を専雑に決判して、念仏の真実門に回入せしむ。▼ただ浅深を執心に定めて、報化二土まさしく弁立せりと。▼源空もろもろの聖典を暁了して、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。▼真宗の教証、片州に興ず。選択本願、濁世に施す。▼生死流転の家に還来すること、決するに疑情をもつて所止とす。▼すみやかに寂静無為の楽に入ること、かならず信心をもつて能入とすと。▼論説師釈ともに同心に、無辺の極濁悪を拯済す。▼道俗時衆みなことごとくともに、ただこの高僧の説を信ずべし。
出拠宗祖 『浄土文類聚鈔』 『真聖全』2・447-11/『註釈版』485-3 
備考『梵唄集』所載の「大師影供作法」の「念仏正信偈」を、本文・譜ともにそのまま用いたもの。譜については広文類作法の「正信偈」参照。ちなみに『龍谷唄策』の「念仏正信偈」は、現行の興正派の「文類」の節譜と同じで、本譜「五念門」の譜であった。誠照寺派の節譜も本譜「五念門」の譜に依る。


(5-1)回向句(甲)

原文稽首阿彌陀兩足尊 敬禮常住三寳 敬禮一切三寳
我今歸依 釋迦善逝 見眞大師 傳燈諸師
願以此功徳 平等施一切
同發菩提心 往生安樂國
和訳阿弥陀両足尊を稽首し、常住三宝を敬礼し、一切三宝を敬礼したてまつる。
われいま釈迦善逝、見真大師、伝灯諸師に帰依したてまつる。
願はくはこの功徳をもつて平等に一切に施し、
同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん。
出拠魚山声明に用いる「六種回向」の文に依って造句(1行目は十二礼文の初句より造語)された今集の回向句である。
「願以此功徳」以下は、善導大師 『観経疏』玄義分
『真聖全』1・442-2/『註釈版』1453-1
備考譜は『梵唄集』所載の「大師影供作法」の「六種回向」譜を移したものであるが、元は魚山声明の「六種回向」の譜に依る。但し「見真大師傳燈諸師」の部分の譜は魚山声明の「六種廻向」には見られない。一越調となっているが本来は黄鐘調で、魚山での実唱は盤渉調である。『梵唄集』の「六種回向」の本文は「供養浄陀羅尼一切誦・敬礼常住三寶・敬礼一切三寶・我今帰依釋迦彌陀・見真大師傳燈諸師・三部妙典願■生々・以一切衆浄妙供具・供養無量無邊三寶・自他同證無上菩提」である。


(5-2)回向句(乙)

原文願以此功徳 平等施一切
同發菩提心 往生安樂國
和訳願はくはこの功徳をもつて、平等に一切に施し、同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん。
出拠善導大師 『観経疏』玄義分 「帰三宝偈」終わりの4句 『真聖全』1・442-2/『註釈版』1453-1 
備考無量寿経作法の「回向句」を参照