観無量寿経作法


 この作法は、明治43年に刊行された本願寺派の旧声明集である『梵唄集』所載の「阿弥陀懺法(あみだせんぼう)」に依って作られたものであが、「三礼」や「経段」を除いて「阿弥陀懺法」の面影はほとんど残っていない。
 「阿弥陀懺法」は、阿弥陀如来を本尊とし、三世十方の仏を請じて一心に敬礼し、一切の罪業を懺悔し、浄土に生ぜんことを願う法式である。宋代の遵式撰「往生浄土懺願儀(さんがんぎ)」による勤行式で、「観無量寿経」を中心に構成されている。舜昌の『述懐抄』に「慈覚大師、御自筆の西方懺法(阿弥陀懺法)の本を写取て慈鎮和尚、自ら筆を染て奥書を加へらる」とあり、早くより叡山で行われていたことが知られる。昭和47年(1972)、天台真盛宗総本山西教寺で不断念仏十五万日大法会の一法座として再興され、現在天台真盛派で依用されている。構成は、天台宗の「法華懺法」「短声阿弥陀経」などと類似する。

(1)至心礼

原文至心敬礼 南無常住佛
至心敬礼 南無常住法
至心敬礼 南無常住僧
和訳心を至して敬礼し、常住の仏に南無したてまつる。
心を至して敬礼し、常住の法に南無したてまつる。
心を至して敬礼し、常住の僧に南無したてまつる。
出拠善導大師 『法事讃』上巻『真聖全』1・566-4
備考譜は『梵唄集』所載の「阿弥陀懺法」の「三礼」に依るが本文が異なる。『梵唄集』の「三礼」の本文は「一心敬礼十方法界常住佛・一心敬礼十方法界常住法・一心敬礼十方法界常住僧」で、現行の本文は『龍谷唄策』所載の「如法念仏作法」の「三宝礼」に見られる。元は天台「法華懺法」の「総礼三宝」の譜により、導師と結衆が交互に起居礼しながら唱えるのもこれに依る。「総礼三宝」には、声明懺法で用いる本譜と法華懺法で用いる切声譜(きりごえふ)があるが、この「至心礼」は切音譜に依る。


(2)般舟讃前序

原文敬白一切往生智識等。大須慚愧。釋迦如來。實是慈悲父母。種種方便。發起我等。無上信心。又説種種方便。教門非一。但爲我等。倒見凡夫。若能依教修行者。則門門見佛。得生淨土。若見聞有人行善者。即以善助之。若見聞有人。行教讃之。若聞人説行。即以行順之。若聞人有悟。即依悟喜之。何意然者。同以諸佛爲師。以法爲母生養。共同情親。非外不得輕毀。他有縁之教行。讃自有縁之要法。即是自相。破壊諸佛法眼。法眼既滅。菩提正道。履足無由。淨土之門。何能得入傷歎曰。生盲信業走墮業。墮■防縱此貧瞋火。自損損他人。長沒無明海。遇木永無縁行者等。必須於一切。凡聖境上。常起讃順之心。莫生是非慊恨也。何故然者。爲自防身口意業。恐不善業起復是流轉。興前無異。若自他境上。護得三業。能令清淨者。即是生佛國之正因。問曰既道三業清淨是生。淨土正因者。云何作業。得名清淨。答曰一切不善之法。自他身口意。總斷不行。是名清淨。又自他身口意。相應善。即起上上。隨喜心。如諸佛菩薩。所作隨喜我亦如是。隨喜以此善根廻生。淨土故名爲正因也。又欲生淨土。必須自勤勸他。廣讃淨土依正二報。莊嚴事亦須知入。淨土之縁起。出娑婆之本末。諸有智者應知。
和訳敬ひて一切往生の知識等にまうさく、大きにすべからく慚愧すべし。釈迦如来はまことにこれ慈悲の父母なり。種々の方便をして、われらが無上の信心を発起せしめたまへり。また種々の方便を説く教門一にあらず。ただわれら倒見の凡夫、もしよく教に依り修行すれば、すなわち門々見仏して浄土に生を得る。もし人ありて善を行ずるを見聞せばすなはち善をもつてこれを助けよ。もし人ありて教を行ずるを見聞せばこれを讃ぜよ。もし人行を説くを聞かばすなはち行によりこれに順ぜよ。もし人悟あるを聞かばすなはち悟によりてこれを喜べ。何の意かしかるとならば同じく諸仏をもつて師となし、法をもつて母となして生養す。ともに同じくして外にあらず。他の有縁の教行を軽毀し、みづからの有縁の要法を讃することを得ざれ。すなはちこれみずから諸仏の法眼を相いに破壊すればなり。法眼すでに滅す。菩提正道履足すること由なし、浄土の門何ぞよく入ることを得ん。傷歎していはく生盲にして業に信せ走る、業に随つて深■に堕す。これ貧瞋の火をほしいままにしてみづから損し他人を損す、長く無明海に没し木に遇うこと永く縁なし。行者等必ず一切凡聖境上において常に讃順の心を起し、是非慊恨を生ずることなかるべし。何の故にしかるとならばみづから身口意業を防がんがためなり。恐くは不善業を起せばまたこれ流転すること前と異なきなり。もし自他境の上に三業を護り得てよく清浄たらしめばすなはちこれ仏門に生ずるの正因なり。問うていはくすでに三業清浄にしてこれ浄土に生ずる正因と道ば云何作業して清浄と名くるを得ん。答えていはく一切不善の法自他の身口意に総断して行ぜざるこれを清浄と名く。又自他の身口意相応の善にすなはち上々随喜心を起す。諸仏菩薩の所作の随喜のごとくわれもまたこのごとく随喜す。この善根をもつて廻して浄土に生ずゆえに名けて正因となす。また浄土に生ぜんと欲せば必ずすべからくみづから勤め他を勧めて広く浄土の依正二報荘厳のことを讃ずべし。亦須らく浄土に入るの縁起娑婆を出ずる本末を知るべし。もろもろの有智のもの応に知るべし。
出拠善導大師 『般舟讃』序文『真聖全』1・685-3
引用宗祖 『教行信証』信巻 「敬白」以下「無上信心」まで『真聖全』2・57-11/『註釈版』227-9
備考譜は『梵唄集』所載の「如法念仏」の「広懺悔」に依るが、本文は新制のものである。元は『往生礼讃偈』の「広懺悔」の譜に依る。往生礼讃偈の「広懺悔」は、古い礼讃本(明治34年3月24日・澤圓諦章譜編纂『礼讃偈』の「晨朝礼讃」の一部など)に見えるが、現行の『往生礼讃偈』には見あたらない。


(3)念佛

原文南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛  南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛  
南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛  南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛
南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛
和訳
出拠
備考譜は『梵唄集』所載の「阿弥陀懺法」のものを十句の念仏に採譜したもので、元は魚山「法華懺法」旧本の「十方念仏」の譜に依る。「法華懺法」の旧本は口伝の部分が多く、新本は旧本の口伝の部分を博士に書き顕したものであるが、なお口伝の部分がある。他の曲にもいえることであるが、本願寺派には口伝の部分が抜け、博士のみが伝わったと考えられる。
十句の念仏は『声明品集』にも見える。


(4)経段(第九真身観)

原文佛告阿難.及韋提希.此想成已.次當更觀.無量壽佛.身相光明.阿難當知.無量壽佛身.如百千萬億.夜摩天閻浮檀金色.佛身高.六十萬億那由他.恆河沙由旬.眉間白毫.右旋婉轉.如五須彌山.佛眼如四大海水.青白分明.身諸毛孔.演出光明.如須彌山.彼佛圓光.如百億.三千大千世界.於圓光中.有百萬億.那由他.恆河沙化佛.一一化佛.亦有衆多.無數化菩薩.以爲侍者.無量壽佛.有八萬四千相.一一相.有八萬四千.隨形好.一一好.復有八萬四千光明.一一光明.■照十方世界.念佛衆生.攝取不捨.其光明相好.及與化佛.不可具説.但當憶想令心眼見.見此事者.即見十方一切諸佛.以見諸佛故.名念佛三昧.作是觀者.名觀一切佛身.以觀佛身故.亦見佛心.佛心者.大慈悲是.以無縁慈.攝諸衆生.作此觀者.捨身他世.生諸佛前.得無生忍.是故智者.應當繋心.諦觀無量壽佛.
觀無量壽佛者.從一相好入.但觀眉間白毫.極令明了.見眉間白毫者.八萬四千相好.自然當現.見無量壽佛者.即見十方.無量諸佛.得見無量諸佛故.諸佛現前授記.是爲■觀.一切色身想.名第九觀.作此觀者.名爲正觀.若他觀者.名爲邪觀.
和訳仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「この想成じをはらば、次にまさにさらに無量寿仏の身相と光明とを観ずべし。阿難まさに知るべし、無量寿仏の身は百千万億の夜摩天の閻浮檀金色のごとし。仏身の高さ六十万億那由他恒河沙由旬なり。眉間の白亳は、右に旋りて婉転して、〔大きさ〕五つの須弥山のごとし。仏眼は四大海水のごとし。青白分明なり。身のもろもろの毛孔より光明を演出す。〔大きさ〕須弥山のごとし。かの仏の円光は、〔広さ〕百億の三千大千世界のごとし。円光のなかにおいて、百万億那由他恒河沙の化仏まします。一々の化仏にまた衆多無数の化菩薩ありて、もつて侍者たり。無量寿仏に八万四千の相まします。一々の相におのおの八万四千の随形好あり。一々の好にまた八万四千の光明あり。一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。その光明と相好と、および化仏とは、つぶさに説くべからず。ただまさに憶想して、心眼をして見たてまつらしむべし。この事を見るものは、すなはち十方の一切の諸仏を見たてまつる。諸仏を見たてまつるをもつてのゆゑに念仏三昧と名づく。この観をなすをば、一切の仏身を観ずと名づく。仏身を観ずるをもつてのゆゑにまた仏心を見る。仏心とは大慈悲これなり。無縁の慈をもつてもろもろの衆生を摂す。この観をなすものは、身を捨てて他世に諸仏の前に生じて無生忍を得ん。このゆゑに智者まさに心を繋けて、あきらかに無量寿仏を観ずべし。
無量寿仏を観ぜんものは、〔仏の〕一つの相好より入れ。ただ眉間の白亳を観じて、きはめて明了ならしめよ。眉間の白亳を見たてまつれば、八万四千の相好、自然にまさに現ずべし。無量寿仏を見たてまつれば、すなはち十方無量の諸仏を見たてまつる。無量の諸仏を見たてまつることを得るがゆゑに、諸仏は現前に授記す。これをあまねく一切の色身を観ずる想とし、第九の観と名づく。この観をなすをば、名づけて正観とす。もし他観するをば、名づけて邪観とす」と。
出拠■良耶舎訳 『観無量寿経』九真身観 『真聖全』1・56-13/『註釈版』101-11 
備考『梵唄集』所載の「阿弥陀懺法」の「経段」をそのまま依用したもの。この経段は『声明品集』に「光明摂取章」として用いられているが、この「光明摂取章」は魚山知観が「法華懺法」の「経段」によって作譜したものである。
知観に至る相承譜は[幸雄−珍雄−貞健−仙恵−知観]で、知観の弟子知影(1763〜1825)は本願寺の御堂衆である。


(5)念仏

原文南无阿彌陀佛  南无観世音菩薩
南无大勢至菩薩 南无清浄大海衆菩薩  
和訳
出拠
備考『梵唄集』所載の「阿弥陀懺法」の「四句念仏」を、本文・譜ともにそのまま依用したもの。


(6)回向

原文願以此功徳 平等施一切
同發菩提心 往生安樂國
和訳願はくはこの功徳をもつて、平等に一切に施し、
同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん。
出拠善導大師 『観経疏』玄義分 「帰三宝偈」終わりの4句『真聖全』1・442-2/『註釈版』1453-1 
備考譜に関しては無量寿経作法の「回向」を参照