無量寿経作法


 この作法は、明治43年に刊行された本願寺派の旧声明集である『梵唄集』所載の「無量寿経作法」に依って作られたものである。旧無量寿経作法の終わりの「流通分」と「三礼」が省かれている他はほとんど同じで、現行の「四句念仏」と「回向」以外の曲は、本文・譜ともにそのまま依用されている。
 旧無量寿経作法は、行道・散華などの作法も現行のものと不異同様であるが、「回向句(現行の成就文)」での次第取の後、導師登礼盤・衆僧復座してから「流通分」が唱えられ、次の「三礼」で起居礼が行われる。その後、導師降礼盤・還着本座・退出となる。

(1)総礼頌

原文諸聞阿彌陀徳號 信心歡喜慶所聞
乃■一念至心者 廻向願生皆得往
唯除五逆謗正法 故我頂禮願往生
和訳あらゆるもの、阿弥陀の徳号を聞きて、信心歓喜して聞くところを慶び、
すなはち一念におよぶまで心を至す者、回向して生ぜむと願ずればみな往くことを得。
ただ五逆と謗正法とを除く。ゆえにわれ頂礼して往生を願ず。
出拠曇鸞大師 『讃阿弥陀仏偈』『真聖全』1・357-1
引用宗祖 『教行信証』信巻(本)『真聖全』2・51-1/『註釈版』215-11
備考『梵唄集』所載の「無量寿経作法」の「総礼頌」を、本文・譜ともにそのまま依用したもの。「総礼頌」の譜は『龍谷唄策』所載の「光明唱礼」の「総礼頌」に依るが、元は魚山声明「修正唱礼作法」の「修正唱礼惣礼頌」の譜である。平調律曲で序曲(拍子なし)となっているが、魚山の本来のものは下無調呂曲で拍子があった。
同じ本文が『声明品集』に「至心偈」の曲名で見られるが、博士は魚山声明「諸天漢語讃」の譜である。


(2)三奉請

原文奉請彌陀如來 入道場 散華樂
奉請釋迦如來 入道場 散華樂
奉請十方如來 入道場 散華樂
和訳弥陀如来を請じたてまつる、道場に入りたまえ。
釈迦如来を請じたてまつる、道場に入りたまえ。
十方の如来を請じたてまつる、道場に入りたまえ。
出拠善導大師 『法事讃』上巻「行道讃梵偈」『真聖全』1・575-4
備考『梵唄集』所載の「無量寿経作法」の「三奉請」を、本文・譜ともにそのまま依用したもので、『声明品集』では「奉請弥陀如来入道場散華楽」を三返唱えていたが、『龍谷唄策』では現行の「…弥陀…・…釈迦…・…十方…」の三奉請が見られる。元は魚山「例時作法」の「四奉請」の譜に依る。
「四奉請」は、天台宗・浄土宗・浄土宗西山系・真宗・時宗で用いられており、本願寺派では現行の『声明集』には見られないが、『梵唄集』の「例時作法」「浄土三昧法」に見られる。本文は「散華楽・散華楽・奉請十方如来入道場散華楽・奉請釈迦如来入道場散華楽・奉請弥陀如来入道場散華楽・奉請観音勢至諸大菩薩入道場散華楽」である。一方「三奉請」は、浄土宗・真宗・融通念仏宗で依用され、浄土宗・融通念仏宗では「散華楽」を略して呉音で唱える。


(3)発起序

原文今日世尊 住奇特法  今日世雄 住佛所住
今日世眼 住導師行  今日世英 住最勝道
今日天尊 行如來徳
和訳今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日世雄、仏の所住に住したまへり。
今日世眼、導師の行に住したまへり。今日世英、最勝の道に住したまへり。
今日天尊、如来の徳を行じたまへり。
出拠康僧鎧訳 『無量寿経』上巻 発起序・五徳瑞現『真聖全』1・4-7/『註釈版』8-6
備考『梵唄集』所載の「無量寿経作法」の「発起序」を、本文・譜ともにそのまま依用したもの。譜は『梵唄集』等所載の「阿弥陀懺法」の「供養文」に依るが、元は魚山声明「法華懺法」の「供養文」の譜である。


(4)念仏

原文阿彌陀佛 阿彌陀佛  阿彌陀佛 阿彌陀佛
阿彌陀佛 阿彌陀佛  阿彌陀佛 阿彌陀佛
阿彌陀佛 阿彌陀佛  阿彌陀佛
和訳
出拠
備考『梵唄集』所載の「例時作法」の「合殺」を呉音で唱えるもので、「合殺」は『声明品集』にも『龍谷唄策』にも見える。元は魚山「例時作法」の「合殺」の譜に依る。念仏の間、行道で導師が仏左辺に至る等の動作も「例時作法」に同じである。『梵唄集』所載の「無量寿経作法」ではこの部分は「十方念仏(しほうねんぶつ)」で、本文は「南无十方佛・南无十方法・南无十方僧・南无釋迦牟尼佛・南无世自在王佛・南无阿弥陀佛・南无観世音菩薩・南无大勢至菩薩・南无文殊師利菩薩・南无普賢菩薩・南无弥勒菩薩・南无清浄大海衆菩薩摩訶薩」となっている。この「十方念仏」は、本文は異なるが興正派の声明集に収められている。
この念仏を「合殺念仏」というが、「合殺」の意味については諸説がある。『円光大師行状画図翼讃』巻九に『十因記』を引き「声明の法、仏号六返合して一曲となす故に合殺と云ふ殺の言は六なり」といい、また『大集経』に「復殺印あり、如来真実六入を了知す」とある。しかし、真言宗『谷響集』三には「それ合殺の名は本は学家より出でたり謂く唐の舞楽将にをへんとする時合殺の名あり、蓋し唐の目を取り以て梵楽に名づく、梵楽の儀則、読経行道するに唱首は隧を引き諸衆属して和す、その将に終らんとする曲調を名づけて合殺となす、殺の音は散なり」といい、前説を否定している。本願寺の『梵唄集』に「甲念仏」の次に「阿弥陀仏」の四字を十一声するを「合殺」とあり、玄智の『考信録』には「甲念仏合殺も例時作法に出でたり。甲念仏は六字一声(導師独唱)四字二声、合して三声なり。合殺の時は次に四字十声を加ふ(初一声は導師独唱)十一声なれども唄策には八声を列ぬ(八声の中に初の六声を唱て、また復て初の三声を唱へて、最後の二声を唱ふ)節譜の同じきものを合すればなり」とある。


(5)経段(四十八願文)

原文
和訳
出拠康僧鎧訳 『無量寿経』上巻 四十八願 『真聖全』1・8-5/『註釈版』15-13 
備考『梵唄集』所載の「無量寿経作法」の「経段」を、本文・譜ともにそのまま用いたものである。華籠を置き行道するのは、魚山「例時作法」の動作に同じである。


(6)念仏

原文南无阿彌陀佛   南无釈迦牟尼佛
南无釈迦牟尼仏  南无観世音菩薩
南无大勢至菩薩  南无清浄大海衆菩薩  
和訳
出拠
備考『梵唄集』所載の「無量寿経作法」では「四句念仏」になっており、この六句の念仏は新制のものであるが、譜は『梵唄集』所載の「四句念仏」に依る。行道し導師が仏左辺から正面に戻る動作は、魚山「例時作法」と同じである。


(7)成就文

原文諸有衆生 聞其名號  信心歡喜 乃至一念
至心廻向 願生彼國  即得往生 住不退轉
唯除五逆誹謗正法
和訳あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。
至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。
ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く。
出拠康僧鎧訳 『無量寿経』下巻 正宗分『真聖全』1・24-5/『註釈版』41-6
備考『梵唄集』所載の「無量寿経作法」の「回向句」を「成就文」と称し、本文・譜ともにそのまま依用したもので、元は魚山「例時作法」の「回向」に準じて次第取を行う。
『梵唄集』の「無量寿経作法」では、この「回向句」の後、導師が登礼盤して「流通分」が続く。


(8)回向句

原文聞是法而不忘 便見敬得大慶
則我之善親厚 以是故發道意
和訳この法を聞きて忘れず、すなはち見て敬ひ得て大きに慶ばば、
すなはちわが善き親厚なり。これをもつてのゆゑに道意を発せよ。
出拠支婁迦讖訳 『平等覚経』巻二『真聖全』1・100-12
引用宗祖 『教行信証』行巻『真聖全』2・8-5/『註釈版』145-11
備考譜は『梵唄集』所載の「例時作法」の「後唄」に依るが、本文は新制のものである。元は魚山声明の「後唄」の譜に依る。
『梵唄集』所載の「無量寿経作法」では、前述の「流通分」に続き「三礼(至心礼)」で終わる。