楽曲解説(唐楽の部・盤渉調)


蘇合香、蘇合(そこう、そごうこう)

 唐楽、盤渉調、大曲、序、序吹、延楽吹、早楽吹、拍子十二。三帖、延楽吹、拍子二十六。四帖、早楽吹、拍子二十六。五帖、早楽吹、拍子二十三。破、延四拍子、拍子二十。急、延四拍子、拍子二十一。新楽。舞あり(舞人6人または4人、文舞)。
 唐楽の四大曲(皇ジョウ・春鶯囀・蘇合香・万秋楽)の一。釈尊入滅後二百年、インド摩訶陀国に君臨した孔雀王朝第3世君主のアショーカ王が病気のとき、地中海と国会に挟まれた小アジアに産する薬草蘇合香(まんさく科の落葉喬木)を飲んで全快したのを喜び、王が育竭にこの曲を作らせたと伝えられている。また、宮殿で蘇合香の葉を冠にしてこの舞を舞ったので香りが殿中にたちこめたという。舞人は、左方襲装束(常装束)の袍(ほう)を両肩ぬいで、下に着ている半臂(はんぴ)を見せながら舞う。頭には薬草蘇合香の形を模した菖蒲甲(蘇合と菖蒲の葉が似ている)をかぶって舞う。インドの曲であるが唐に伝わったものを遣唐舞生の和邇部島継が延暦年間(782〜805)にわが国に伝えた。次第は、盤渉調調子・音取、道行(舞人登場、出手)、序(拍子不定)、三帖(延楽)、四帖(早楽)、五帖(早楽)、破(延四拍子)、急(延四拍子、序から急までが当曲舞)、急の重吹(入手、退場)。舞の手に、足を中心にした部分と手の動きを中心にした部分とがある。また、序・三・四・五帖は一つの曲の中で拍子が定まらない特異な曲である。なお、管絃曲としては三帖・破・急が奏され、渡物には黄鐘調に「蘇合急」がある。番舞は「進走禿」。

万秋楽(まんじゅうらく)=慈尊楽

 唐楽、盤渉調、序、序吹物、拍子十八。破 延八拍子、拍子十八。二帖、三帖、四帖とも延八拍子、拍子四、五帖、延楽より早楽へ続く拍子十八、六帖、新楽。舞あり(舞人6人)。
 唐楽の四大曲(皇ジョウ・春鶯囀・蘇合香・万秋楽)の一。四大曲のうち二曲(皇帝破陣楽・団乱旋)が絶えたので、この曲が大曲になった。林邑の八楽の一。天平8年(736)8月にインドの僧、婆羅門僧正と南ベトナムの僧の仏哲が日本に伝えた。奈良の大安寺で大阪四天王寺の楽人に林邑八楽のうち他の七曲はすぐに教えたが、この「万秋楽」は秘曲としてなかなか教えなかった。他の曲を伝授してから10年後の大仏殿の慶讃会のときに初めて教えて公開したという。25曲の万秋楽、12曲の万秋楽、5曲の万秋楽など、多数の万秋楽があった。特別な大きい甲をかぶり、襲装束の両肩をぬいで舞う。この「万秋楽」は、全曲演奏するのに3時間半もかかるという。万舞は「地久」。

宗明楽、崇明楽(そうめいらく)

 唐楽、盤渉調、中曲、延八拍子、拍子十、新楽。舞なし。

輪台(りんだい)

 唐楽、盤渉調、中曲、早八拍子、拍子十六、新楽。舞あり(舞人4人)。
 輪台は中国唐代西域にあった輪台国の地名。「青海波」の序に当てられている舞楽曲である。はじめは平調の曲で伝えられたが、仁明天皇の勅により和邇部太田麿(わたべのおおたまろ)が盤渉調に改作し、良峯安世(よしみねのやすよ)が舞を作ったという。古くは垣代(かいしろ)といって40人が並んで出て、その中から前後の2人ずつが舞台に上がって舞った。小野篁(おののたかむら)が作った詠の歌詞が残っているが、発声法が伝わっていない。左方襲装束(常装束)に別甲(べつかぶと)を用いる。輪台音取、輪台吹渡がある。当曲の演奏中に「青海波」の舞人が舞台に出る。詳しくは「青海波」を参照。番舞は「敷手」。

青海波、清海波、静海波、青海破(せいがいは)

 唐楽、盤渉調、中曲、早八拍子、拍子十二、新楽。舞あり(舞人2人、文舞)。
 舞楽のときは、「輪台」を序、「青海波」を破として続けて舞う。舞楽の中では珍しく、箏と琵琶が伴奏に用いられるので「管絃舞楽」と呼ばれる。青海は中国西北地区の四省の一つ、青海省にある地名で、青海破が青海波になったのではないかと『楽考』に記されている。太田麿あるいは大戸清上(おおとのきよがみ)によって作曲され、良岑安世が舞を作ったとされる。舞人は、この曲用の別装束の袍を片肩袒(かたかたぬぎ)に、別甲(べつかぶと)をかぶり、太刀を腰につけて舞う。用いられる袍は青海波の地紋に千鳥模様を刺繍した麹塵袍(きくじんのほう)といい、舞楽装束のうちでもっとも華麗なものである。『源氏物語』の「紅葉賀」の巻に源氏の君が朱雀天皇にこの舞をご覧に入れたことが書かれている。舞に寄波、引波の振りがあり、打楽器に千鳥懸(ちどりがけ)、男波(おなみ)、女波(めなみ)という特殊な打ち方がある。
 この曲を正式に演奏するには多くの人数と時間、それに複雑な作法を必要とするので、近来は省略した形で行われている。次第は、盤渉調調子・音取、延輪台(「輪台」をゆっくり奏する。早八拍子、舞人登場)、早輪台(「輪台」を舞楽吹で早く奏する。早八拍子、当曲舞)、青海波(早八拍子,当曲舞)、延輪台(退場)。「輪台」の舞人4人のうち上位2人は先に舞台を降り、残り2人は舞い続ける。「輪台」の舞が終わらないうちに「青海波」の舞人が登場し、「輪台」の2人と行違いに舞台に登る。「輪台」が終わるとすぐに「青海波」の演奏がはじまり、舞人も舞いはじめる。「青海波」には両手を振り上げたり下ろしたり、波を思わせる振りが多い。また「輪台」「青海波」ともに管絃曲としても奏されるし、「青海波」は黄鐘調に渡物がある。  なお同名の曲が清元節(1897年、作詞永井素岳、作曲2世清元梅吉)および都山流尺八本曲(1904年、作曲中尾都山)にあるが、雅楽曲との関係はない。番舞は「敷手」。

白柱(はくちゅう)=徳貫子、児女子

 唐楽、盤渉調、小曲、早八拍子、拍子九、新楽。舞なし。
 もとは角調の曲であった。「竹林楽」とともに葬送曲として葬儀のときに演奏される。

竹林楽(ちくりんらく)

 唐楽、盤渉調、小曲、早八拍子、拍子十、古楽。舞なし。
 この曲は「白柱」とともに雅楽の葬送曲で、葬儀のときに演奏される。

蘇莫者、蘇莫遮(そまくしゃ)=莫者

 唐楽、盤渉調、破、中曲、早只八拍子、拍子十二、古楽。舞あり(舞人1人、走物)
 聖徳太子(あるいは役行者あるいは日蔵上人)が笛を吹いていると、山の神があらわれて笛に合わせて舞を舞った。その姿をかたちどったものと伝えるが、由来については諸説ある。舞人は、この曲用の別装束(毛べりのついた赤の裲襠装束)に蓑をまとい、金色の山神(あるいは老猿)を模した面をつけ、左手に桴(ばち)を持って舞う。別に太子と呼ばれる龍笛の独奏者が、宮内庁では舞台の向かって右前方の舞台の縁のところで、大阪四天王寺の石舞台では右方の階段下のところで、笛の乱声を独奏す。太子は左方襲(さほうがさね)装束(常装束)に唐冠(とうかんむり)をかぶり、太刀を腰に下げる。太子の役は法隆寺宝物の聖徳太子のものと伝える笛を借りて吹く慣例が残っているという。続いて当曲の音頭を吹き、楽屋の管方とともに全曲を合奏する。舞人のつける面は山神が喜ぶ様をあらわしたものとされる。舞人が小走りする舞の手はこの曲独特のもの。「信西古楽図」にも描かれている。次第は、古楽乱声(舞人登場、出手)、蘇莫者音取(三管同時に奏する合音取)、序(無拍節、太鼓は震動拍子というこの曲のみの特別な奏法をする)、破(八多良八拍子、当曲舞、入手、退場)。奏楽が終わってから太子は舞台を降りる。管絃曲としては破のみ早只八拍子で奏される。番舞は「蘇志摩利」または「八仙」あるいは「林歌」。

千秋楽(せんしゅうらく)

 唐楽、盤渉調、小曲、早八拍子、拍子八、新楽。舞なし。
 後三条天皇(在位1068〜1072)の大嘗会(だいじょうえ)に、当時、笛の名人で風俗所預の役目にあった源頼能(みなもとのよりよし)が勅命によって作ったと伝えられる。一説に唐代の開元年間(713〜741)8月5日の千秋祭に作られた曲ともいうが、日本で作られた曲と考えるのが妥当であろう。古来この曲は、法会での衆僧の退出楽や宮廷での退出音声(まかでおんじょう)などに奏される習わしとなってきた。相撲や歌舞伎などの興行の最後の日を「千秋楽」または単に「楽(らく)」というのは、雅楽の番組の最後に「千秋楽」が演奏されたところから来たとも、能「高砂」の一節に「千秋楽には民を撫で云々」とあるところからともいう。また、この曲は黄鐘調に渡物(わたしもの)があり、法要楽としてよく演奏される。

採桑老(さいそうろう)=採桑子

 唐楽、黄鐘調、破、中曲、早只拍子、拍子十、古楽。舞あり(舞人1人)。
 用明天皇(在位585〜587)のときに大神公持がはじめて天王寺の楽として伝えたので、高麗楽であるという説もある。能の翁を思わせる老人の面をつけ、牟子(むし)という頭巾の後に笹の葉をさして白の直衣に紫の袍という採桑老用の装束を着る。下鞘(しもざや)と薬袋(やくたい)を腰に下げ、鳩杖をつき、係物(かかりもの)という介添人に助けられながら登場。百済の国の採桑翁が鳩杖をもち、老いた体で舞った姿をあらわしたものといい、介添人の肩にすがってようやく歩くという舞振りもある。この舞は久しく絶えていたが、昭和37年(1962)名古屋の羽塚賢子氏が復活上演した。多家の家伝の舞であったが、一時は天王寺に伝わり、堀川天皇(在位1086〜1107)の命により天王寺の楽人の秦公貞から多近方に伝え返したという。舞楽のときは、調子(出手)、当曲、詠、音取、当曲、詠、音取、当曲、上調子(入手)と奏され、詠の部分では、舞人が30歳から100歳まで人間の老いていく姿を10歳刻みに語る。また調子の所では「安摩」と同様、鹿婁(ろくろ)乱序を奏する。番舞は「新靺鞨」。

剣気褌脱、剣器褌脱(けんきこたつ)

 唐楽、盤渉調、小曲、早四拍子、拍子十五、後度十四。舞なし。
 剣器をもてあそぶ遊戯の伴奏曲であったといわれる。相撲節会(すまいのせちえ)の猿楽に用いられたことが『教訓抄』に記されている。褌脱は散楽の一つであるという。打物は鞨鼓を用いず、太鼓と鉦鼓のみという節もある。記録には「剣気褌脱」「輪鼓褌脱」と角調の「曹娘褌脱」の3曲が残されているが、「剣気褌脱」「輪鼓褌脱」の2曲が残されている。