楽曲解説(唐楽の部・調)


皇ジョウ[=鹿+章](おうじょう)=海老葛(えびかづら)

 唐楽、平調、大曲、新楽。舞あり(舞人6人)。
 唐楽四大曲(皇ジョウ・春鶯囀・蘇合香・万秋楽)の一。四大曲のうち二曲(皇帝破陣楽・団乱旋)が絶えたので、準大曲であったこの曲が大曲になった。今は、破、延八拍子、拍子十。七帖、延八拍子、拍子十。八帖換頭、延八拍子、拍子十。九帖、早八拍子、拍子十。急 拍子二十が残っていて一具となっている。
 唐の中宗の時代(684〜710)に、契丹を破った故地である黄ジョウ谷で戦死した将軍王孝傑の忠義ぶりをたたえて、帝がこの曲を作ったと伝えられる。日本への伝来については不明。もともとは,遊声(1帖。今は絶える))、序(3帖。舞があったが絶える)、破(9帖。今は絶える)、急(1帖。早四拍子、拍子20)という構成であったが、現在は急のみ管絃で奏される。典型的な平調の旋律法を備えるとともに、その厳粛な雰囲気から、社寺の法要楽として急の曲がよく取り上げられ、とくに仏教では「皇ジョウ」に「往生」の文字を用いて奏している。四箇の大曲に数えられるが、実際演奏される急の曲は小曲に分類される。舞人は襲装束を着て両肩をぬいで舞う。

五常楽、五聖楽、五性楽、後生楽(ごしょうらく)=礼儀楽、五[土へん+旁]楽

 唐楽、平調、中曲、助、序吹。破、延八拍子、拍子十六、小曲。急 早八拍子、拍子八、新楽。舞あり(舞人4人、文舞)。
 中国唐の太宗(在位627〜649)の作。儒教の仁義礼智信の五徳を、宮商角徴羽の五音にあてはめて作られた曲で、礼儀楽の名もある。序・破・急の三が完全に整っている曲は少ないが、これは三つの楽章からなっている。童舞として子供が舞ったこともあるが、今は大人が舞う。左方蛮絵装束に巻纓(けんえい)、オイカケをつけた冠をかぶり、片肩袒(かたかたぬぎ)で舞う。次第は、平調調子、品玄(ぼんげん)、序、詠(延八拍子)、破(延八拍子)、急(5帖、早八拍子)、入綾(急の重吹のうちに舞いながら1人ずつ退場)。番舞は「迦陵頻」。

万歳楽(まんざいらく)=鳥歌万歳楽

 唐楽、平調、中曲、延八拍子、拍子十、新楽。舞あり(舞人4人、文舞)。
 中国唐の則天武后(在位690〜704)の作という。武后が飼っていた鸚鵡(おうむ)がいつも万歳と鳴くので、その鳴き声をとって作曲した。また、隋の煬帝(在位605〜616)の作ともいい。唐で賢王が世を治めたとき鳳凰が飛んできて賢王万歳とさえずったので、そのありさまを音楽にしたともいう。日本への伝来は不明。
 醍醐天皇が延長4年(926)10月19日に嵐山のふもとの大堰川に舟遊びに行ったとき、雅明親王が7歳でこの舞を大変上手に舞ったので、天皇はこれを称えて着ていた半臂(はんぴ)を脱いで与えたという。めでたい曲とされ、明治天皇の即位の大礼以来、大饗の第2日目に「太平楽」とともに舞うことになった。現在でもよく舞われ、左方の文ノ舞の代表的な曲である。左方襲装束(常装束)の袍を片肩袒(かたかたぬぎ)にし、鳥甲(とりかぶと)をかぶって舞う。次第は、平調調子・品玄(舞人登場)、当曲(当曲舞)、調子・臨調子(退場)。番舞は「延喜楽」。管絃曲として当曲が奏されることもある。

甘州(かんしゅう)=甘州楽、甘州塩、衍台(えんだい)

 唐楽、平調、準大曲、延四拍子、拍子十四、新楽。舞あり(舞人4人)。
 中国唐の玄宗皇帝の作ともいう。中国の甘粛省に甘州という地名がある。甘竹という竹の密生しているところで、その根本に毒蛇、毒イモリ、毒虫がいて竹を切り出すことができない。この曲を奏して船に乗って竹を切ると、毒虫には金翅鳥の音に聞こえるので、人に害を与えないといわれている。また、唐の玄宗(713〜756)が太后と青城山に行ったとき、官女の衣が風になびいて仙女が舞っているように見えたので、これを舞にしたという。襲装束の両肩をぬいで舞う。種まきという特殊な舞の手がある。調子で舞人は舞台に出て、当曲で舞い、重吹で入る。番舞は「林歌」または「仁和楽」。

三台塩(さんだいえん)=天寿楽

 唐楽、平調、急、中曲、早四拍子、拍子十六、新楽。舞あり(舞人4人)。
 中国唐の則天武后(在位690〜704)の作。張文成という才能のある者が『遊仙窟』という恋愛小説を書いて武后に差し上げたところ、武后は大変よろこんで、その本の内容を曲にあらわしたという。犬上是成が日本に伝えた。襲装束を着て舞ったが、今は舞は絶えた。番舞は「皇仁庭」であった。

春楊柳(しゅんようりゅう)

唐楽の平調曲、中曲、新楽、拍子十二。舞はない。
大春楊柳、大倍臚、大陪臚の異名がある。只拍子に奏する時に、倍臚に似るをもってこの名がある。

林歌、臨河、林賀(りんが)

 唐楽、平調、小曲、早八拍子、拍子十一、新楽。舞なし。
 高麗楽に同名の曲がある。唐楽の曲には舞はないが、高麗楽には舞がある。
 高麗楽の「林歌」参照

老君子、郎君子(ろうくんし)

 唐楽、平調、小曲、早四拍子、拍子十六、新楽。舞なし。
 この曲は、唐では男子の誕生の時に演奏した。わが国では天皇の六十の賀宴の退出の音楽として演奏された。

陪臚(ばいろ)=陪臚破陣楽(ばいろはじんらく)

 唐楽、平調、中曲、早只八拍子、拍子十二、古楽。舞あり(舞人4人)。
 五破陣楽の一。林邑の八楽の一。「破陣楽」というのは、戦いの陣形をかたどったマスゲームのような舞踊で、中国唐代には盛んに行われていた。中国の斑朗徳(はんろうとく)の作という。古代インドの神話で、仏教に帰依し善政をしいたバイロチカーナ王の物語に由来する舞ともいわれている。婆羅門僧正と林邑(南ベトナム)の僧の仏哲とが、天平8年(736)8月にわが国に伝え、大安寺で四天王寺の楽人に教えた。聖徳太子はこの曲を奏して守屋の軍を破ったとか、八幡太郎義家は出陣のたびに演奏して、7回奏したときに舎毛音があれば戦に勝ったと伝えられている。奈良の唐招提寺の仏誕会にこの曲を必ず奏したので、この法会に「陪臚会(へろえ)」の名がついた。
 管絃の合奏の時には只拍子(2拍+4拍の複合拍子)で奏するが、舞楽のときは夜多羅拍子(2拍+3泊)で伴奏する。唐楽でも笙も入って演奏するが、舞人は右方の舞人が舞い、右方の舞とされる。老懸に巻向の冠(四天王寺や日光輪王寺などでの仏事では鳥甲)をかぶり、赤系統の左方の金襴べりの裲襠と袍を着て太刀をはく。右手に鉾、左手に盾を持って出て、はじめは鉾と盾とを舞台の上に置いて舞い、半ばで太刀を抜く。後半は鉾と盾とを持って舞い、一直線になって舞いながら入る。平調調子で舞人が出て、破にこの曲を、急に沙陀調音取に続いて壱越調の「新羅陵王急」を用いる。版舞は「太平楽」。

鶏徳、慶徳(けいとく)

 唐楽、平調、小曲、早四拍子、拍子十、新楽。舞なし。
 中国漢代、南方に鶏頭国という国があり、その国を討ったよろこびを曲にしたものとも、また鶏に五つの徳があり、それを称えて作った曲ともいわれている。短い曲ゆえに法要でよく使われる。

慶雲楽、景雲楽(きょううんらく)=両鬼楽

 唐楽、平調、中曲、延八拍子、拍子十、新楽。舞なし。
 慶雲年間(704〜707)に日本に伝えられたので、この曲名がある。唐では食事の時にこの曲が奏されたという。

裹頭楽、裸頭楽(かとうらく)=散手作物

 唐楽、平調、中曲、延八拍子、拍子十二、新楽。舞あり(舞人4人)。
 中唐の頃、李徳祐の作。百年に一度、金沙国から多くのハチが飛んできて人々に被害を与えたので、錦の羅や絹の綾で頭を包んでこの曲を奏すると、ハチはみな死んでしまったという。そのありさまを舞にしたというが、今の舞は、その一端も見られない。襲装束の右肩をぬいで舞う。
 昭和38年(1963)春の宮内庁楽部の演奏会で久しぶりに公演された。わが国では天皇、皇太子の冠礼(元服の式)にこの曲を奏した。番舞は「敷手」。

相府蓮、相夫恋、想夫憐、相夫憐、相府連(そうふれん)

 唐楽、平調、中曲、延八拍子、拍子十、新楽。舞なし。
 『源平盛衰記』の二十五に、仲国が月の明るい夜、馬に乗って西の方へ行くと、亀山のあたりの松のこんもりとしたところから、琴の音が聞こえてきた。それは峯の嵐か松風か尋ねる君の琴の音かと不安に思って馬を速く走らせてゆくと、片折戸の中から琴の音が聞こえてきた。高倉天皇の寵姫小督局(こごうのつぼね)のひく琴の音で、その曲は何かとよく聞くと「想夫恋」であったと書かれている。また、『枕草子』には「しらべは、さうふれん」とり、古来親しまれた曲である。曲の由来については、晋の大臣王僉(おうせん)が家に蓮を植えて可愛がったからとか、王僉が一時失脚して後に返り咲いたのを時の人が蓮の花にたとえて作ったとも伝える。

勇勝(ようじょう)=勇勝楽

 唐楽、平調、急、小曲、早四拍子、拍子二十六、新楽。舞なし。
 曲は急だけ残っていて、舞は絶えた。わが国で作曲したものといわれている。

扶南(ふなん)=南蛮諸国楽

 唐楽、平調、小曲、早四拍子、拍子十四、新楽。舞なし。
 扶南はカンボジアの漢名である。中国隋の煬帝(在位605〜616)が林邑国(南ベトナム)を平らげたとき、扶南(カンボジア)の工人がその匏琴をとったという。

夜半楽(やはんらく)

 唐楽、平調、中曲、早八拍子、拍子十六、新楽。舞なし。
 中国唐の玄宗(在位712〜755)が兵を挙げて、夜半に韋皇后を討った時、この曲を作ったという。日本では、承和年間(834〜848)に、御遊の時、夜になってこの曲を演奏し、退出音声(参会者が退場する時の音楽)として奏したという記録があるが、その伝来については不明。

小娘子、古娘子、小老子、紅娘子、康老子(ころうじ)

 唐楽、平調、小曲、早四拍子、拍子十四、新楽。舞なし。
 中国唐のある大国の王子は年をとっても身長が1メートルぐらいで高くならなかった。この太子が80歳になったときにこの曲を作ったので、「小老子」の曲名があるという。

王昭君(おうしょうくん)

 唐楽、平調、小曲、早四拍子、拍子十、古楽。舞なし。
 中国漢の元帝(在位B.C47〜33)がこの曲を作ったが、わが国では絶えてしまったので、清和天皇の皇子貞保親王(870〜924)の尺八の曲から吹き伝えたという。また、醍醐天皇の代(897〜930)に改作されたともいう。

越天楽、越殿楽(えてんらく)

 唐楽、平調、小曲、早四拍子、拍子二十、新楽。舞なし。
 中国唐伝来の曲といわれ、大臣が宮廷に昇殿あるいは降殿する際に演奏された曲とも伝えられる。平調・黄鐘調・盤渉調の三調子の曲があるが、平調から盤渉調へ、盤渉調から黄鐘調に渡物として移調された。最もよく知られている平調のものが原曲で、堀河天皇(在位1086〜1107)のころに、仏事に際して奏するために笛の名手、大神惟季が盤渉調に渡したと伝えられる。黄鐘調に渡された年代は不明。平調の旋律は平安時代に好まれたらしく、それに詞章を当てはめた越天楽歌物(うたいもの)も生まれ、越天楽今様として残されている。福岡県の「黒田節」はその民謡化した例で「筑前今様」ともいう。箏曲の組歌は、寺院歌謡として伝承された越天楽歌物が源流と認められる。近代では宮城道雄作曲、近衛直麿・秀麿編曲の箏(そう)とオーケストラの協奏曲「越天楽変奏曲」もある。学校教育の中でも紹介され、雅楽曲の中ではもっともよく知られた曲である。