御絵伝・第一幅
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「御絵伝」第一幅


第二図(得度剃髪の図) 左:青蓮院客殿 右:青蓮院仏殿

 第二図は、2つの場景が1つの図中におさめてある。

〈左〉松若丸が伯父範綱卿とともに、慈円僧正に対面されている青蓮院客殿の様子である。
 緋の衣は27歳の慈円僧正。諡(おくりな)は慈鎮(じちん)。吉水僧正と呼ばれた。関白藤原忠通の子で、兄は九条家の祖兼実(かねざね)である。建久3年(1192)38歳で天台座主となり、九条家の浮沈に応じて4度天台座主となられたお方である。その著に『愚管抄(ぐかんしょう)』がある。
 松若丸は9歳。本来なら何年かは稚児(ちご)として勉強すべきであるが、いきなり剃髪を所望された。また、「もう夜であるから明日に」と言われた慈円僧正に対し「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を返されたも伝えられている。慈円僧正も9歳の松若丸に感ずるところがあり、式はすぐに行われる。この場面ではそのような話がなされているのであろう。
 縁の左の方に侍僧と喝食(かつじき)が外を向いて控えているが、来客時にはこのように後ろ向きに控える。喝食の「喝」は唱えることで、武家や寺院で大衆に食事などを知らせたり、給仕役をつとめる俗体の小児のことで、稚児とも称する。

〈右〉青蓮院仏殿にての得度式(とくどしき)の場面である。
 松若丸の熱意に打たれた慈円僧正自らが戒師となり得度式が行われた。経卓に向かう慈円和尚の前で、直接剃刀を執ったのは権智房性範。後ろの畳に座すは範綱卿である。縁に侍僧と喝食が、得度式ゆえに前向きに控えている。
 松若丸は得度して「範宴(はんねん)」と命名された。

 これより本願寺歴代宗主は、明治まで青蓮院にて得度することが慣例となった。
 青蓮院には、当時の得度の記録が残されているという。それには、蓮如上人の名は見えるが、親鸞聖人の名は見あたらないと聞く。これが事実であれば、はやり青蓮院で得度されたのではないのであろう。