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(3)お墓と納骨




6. 倶会一処の世界(お墓に先妻と後妻が…)
 数年前にご主人を亡くされたある女性が、ふとこんな旨の内を明かしてくれました。

 「私も年をとり、時どき死んでからのことを考えるんです。お墓には主人と先妻さんがすでに入っていますので、私が死んでも、せっかく仲良くしている所へ行くのは何だか邪魔しに行くようで、気が進みません。それで別にお墓を建ててもらおうかとも思ったりして…」

 と、こうです。

 また、ある新聞のアンケート調査によると「姑(しゅうとめ)さんと一緒のお墓に入るのはいやだ」と答えた主婦もいたとか。

 これでは、お墓は俗世の感情がそのままぶつかり合う所のようです。しかも、死後、あんな狭い所におおぜいの人?がそれぞれの思いを抱きながら閉じ込もっているとすれば、たまったものではありません。

 しかし、安心して下さい。お念仏の信心をいただいておればお墓の中に“拘束(こうそく)”されることなく、広大なお浄土へ生まれさせていただけます。そのお浄土はまた「倶会一処」の世界であり、一人ひとりが仏として互いに敬い合い、心を通わせる世界です。男とか女とかの区別もなく、いのちそのものが躍動し合う世界なのです。

 心の隅ずみまで通じ合える関係なのですから、気兼ねやわだかまり、不信、不満が生じる余地はありません。先妻と後妻とか、嫁姑とかいったこだわりもないということです。手に手を取り合い、こだわり続ける私たち凡夫に向かって阿弥陀如来の真実(まこと)の救いを説いて下さるのです。

 ですから、気兼ねしたり、片意地を張ったりせず、私自身が仏法を聞いて信心をいただき、お浄土に生まれさせていただく身になることが肝要でしょう。

 また「お墓はこのようにしてほしい」とか、自分の後のことをあまり子や孫に押しつけると、あるいは子どもたちが困ることにもなりかねません。それよりも今、子や孫にしなければならないのは、身をもって仏法を伝えることでしょう。

  • お墓で合うのではなく、お浄土で出会う。
  • 気兼ね無用なのがお浄土。




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