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(3)お墓と納骨




4. 分骨(分骨により仏縁が増えこそすれ…)
 これもあるご婦人の相談です。

 「主人が亡くなり、その遺骨をご両親お要望もあり、故郷のお墓に納めることになりました。しかし、何分にも遠い所で、なかなかお参りに行けそうもありません。また息子もこちらで働いているので、将来のことも考えて、こちらでもお墓を建てようと思っています。ところが“分骨はいけない”ということを聞きます。どうすればよいでしょうか」

 こんな内容でした。

 「分骨はいけない」と思っている人が確かにいるようです。聞くところによると、分骨することによって故人の“身が裂かれ”てバラバラになり、故人が迷ってしまうというのです。

 前項で述べたように、これは遺骨そのものを故人と見てしまう執着心の結果です。くどいようですが、故人は“骨”ではなく、限定して捉えることのできない存在になっているのです。そうした故人の遺徳を偲(しの)ぶ縁として遺骨があるわけです。

 遺骨を前にして、縁ある人びとが少しでも多く故人の遺徳を偲び、如来さまの広大なお慈悲に遭(あ)うことができれば、むしろ慶ばしいことと言わねばなりません。ですから「分骨がいけない」理由はどこにもないのです。

 お釈迦さまのご遺骨(仏舎利)のことを考えれば、なお一層はっきりしてきます。

 すなわち、荼毘(だび)にふされたご遺骨は、お釈迦さまを敬い慕う各国の人びとによって8つに分骨され、それぞれの国に持ち帰って仏舎利塔が建立されます。そこからまた、さらに分骨され数多くの仏舎利塔が建てられるようになったのです。

 それだけお釈迦さまのご遺徳を偲び、そのみ教えに敬順(きょうじゅん)する人びとが多かったということであり、また、そういう自ずとわき出てくるお釈迦さまへの恭敬(くぎょう)の心が、仏舎利塔すなわちお墓を建てしめたのです。

 こうしたお墓の原点を考えれば「分骨はいけない」という発想はわいてこないのではないでしょうか。

  • 分骨が“身を裂く”ように思う心が問題。
  • 分骨によって仏縁が増えればむしろ慶ばしい。




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