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(2)葬儀と中陰




6. 死の受けとめ方(迷信俗信に惑わされない)
 人は、自分の力でどうすることもできない“望ましからざる出来事”が起こったり、またその恐れがあると、途端に神経質になり、不安にかられてあれこれと形や行為にこだわるもののようです。

 “死”にともなう一連の葬儀はその最たるもので、実にさまざまな迷信や俗信が行われ、それをまた、仏教だと思い込んでいる人も少なくありません。

 「死は穢(けが)れ」という考え方から起こった習俗は、その代表と言っていいでしょう。

 例えば「忌中」の札を入口に貼るのは、死の穢れを他に及ぼさないよう広く知らせる意味があります。逆さ屏風(びょうぶ)やご飯に箸を立てたりするのも、異常さを示して死を忌(い)み遠ざけようとするのでしょう。清め塩もあります。

 さらに、死者に対しても容赦なく「冷たい仕打ち」を行います。風習の一つに、棺を閉じる際、石で釘(くぎ)を打ちつけるのがあります。これは石の“魔力”で死者の“霊”を封じ込め、災いを防ごうというものです。また、故人の茶碗を割る風習は、再び舞い戻って災いを起こさないように「帰ってきても、あなたの分はありませんよ」ということでしょう。棺を回してから出るという風習も、同様の趣旨です。

 しかし「帰ってくるな」と言いながら、お盆になると「帰ってこい」と言う−。随分と身勝手なものですね。

 故人を不幸災難の元凶のように扱って、何の抵抗もないのでしょうか。「ご冥福を祈ります」という言葉も、うがった見方をすれば「迷って私たちに災難を及ぼさないように」との意味にもとれてきます。

 仏教は、このような自己中心的な発想で死を忌み避けるのではなく、死を厳粛に受けとめ、人生無常をかみしめながら「生死いづべき道」を説く教えです。迷信にまどわされず、死を縁に自分自身の仏縁を深めて下さい。

  • 仏式の葬儀にふさわしくないもの−「ご飯に箸を立てる」「清め塩」「茶碗を割る」…。
  • 仏教は「死は穢れ」と避けるのでなく「生死いづべき道」を説く。




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