3.宗教の異なる家族の葬儀 前 SubMenu 次 5.臨終勤行で

(2)葬儀と中陰




4. お寺は葬儀のためにあるのではない
 これまでまったく縁のなかった方から葬儀を頼まれることがあります。日頃からお寺に関わっているわけではありませんので、中には“我が家が何宗”なのかわからず、「とにかく仏教なんだから何宗でもいいや」と“急場しのぎ”のように頼んだり、そこまで極端でなくても「葬儀がすめばお寺に用はない」とばかりに、以後連絡がなかったりすることがあります。どうも「お寺は死者や先祖のためにある」ぐらいに思っているようです。

 しかし、これには、お寺としてはほとほと困ってしまいます。

 つまり、お寺に葬儀を依頼するということは、遺族(故人というより)がそのお寺の説いている教え(私たちの場合なら浄土真宗)を聞き信順(しんじゅん)していくということが前提にあるわけで、だからこそお寺は葬儀を引き受け、み教えに則(のっと)って儀式を行うのです。言いかえれば、遺族はそのお寺の門徒になるということなのです。ですから、何よりも遺族の方たちが、悲しみを縁としてみ教えを聞いてもらわなければなりません。けっして葬儀がすんだから“おしまい”ではなく、むしろ“出発点”であるわけです。

 お寺を決め、葬儀を依頼するということはそれだけ重要な意味をもっているのです。

 もし、故郷などにお寺があり、先祖のお墓もあるということなら、まずそのお寺に連絡をとり、葬儀の相談をすればよいでしょう。そして、今住んでいる近くの同宗派のお寺を紹介してもらうなり、適切な指示を仰いで下さい。

 いずれにしろ、お寺との関わりは葬儀や年忌法要だけではなく、日頃から関わっていくことが大切です。お寺を“死者のための場”ではなく、私自身の“聞法の場”としていただきたいのです。もし“死者のための場”としてしか捉えられなければ、あるいはお金のかかることや“付き合いにくさ”に頭を煩(わずら)わせることになるかもしれません。しかし、“聞法の場”として関われば、無限の慶びを与えてくれる所となるでしょう。

  • 葬儀を依頼することは、そのお寺の門徒になるということ。
  • お寺は「死者のための場」ではなく、私自身の「聞法の場」。




  • 3.宗教の異なる家族の葬儀 前 SubMenu 次 5.臨終勤行で