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(2)葬儀と中陰




3. 宗教の異なる家族の葬儀
 家族の間で異なる宗教を信じていたり、あるいは“無宗教”という人がいる場合、その方が亡くなれば、葬儀はどうすればよいでしょうか。

 一般的に言って、避けて考えられないことは“故人の意思”だと思います。まして、生前「私が死んだら、こうしてくれ」などと遺言めいたことを言われていれば、なおされでしょう。そこで「葬儀は故人の宗教、信条に基づいて決める」と判断される方が多いようです。

 しかし、こんな話があります。“無宗教”を自認し「葬式無用論」を説いていたある大学教授が、思いもかけぬ我が子の死に出会いました。その途端、これまで盛んに主張していた説はどこかへ吹っ飛び、涙ながらに「盛大な葬儀をしてくれ」と頼んだといいます。

 つまり、故人の死を縁に営まれる葬儀というのは、後に残った遺族、縁者が故人の死を悼み、その遺徳を偲ばずにはおれないという心情から行われる儀式であるわけです。

 「死を悼み、遺徳を偲ぶ」ことは、自らの信仰とは切り離し得ない心のはたらきです。たとえ故人が無宗教でも、また他の宗教を信じていても、“私”が故人を偲ぶ時、私の宗教観でしか偲べないのではないでしょうか。

 そう考えると、葬儀は遺族の心情(信仰)にもっともふさわしい宗教で行われるのが本筋ではないかと思うのです(最終的には、遺族の代表者である喪主が決める)。

 「それでは、故人の意思はどうなるのか」と言われそうですが、ここではっきりしておきたいことは、その“意思”が「自分のこと(後の世話)を頼む」と言っているのか、または「後に残った者がよりよく生きるための願い」であるのかを聞き分ける必要があるということです。もし前者ならば、時には遺族の心を“束縛”しかねません。

 要は、死んでからのことを頼むのではなく、今生きている時に、大切な心(信仰)を伝えておくことです。お念仏を子孫に伝えるには、今をおいてほかはないということです。

  • 宗教の違う家族の葬儀は、遺族(喪主)の宗教で行えばよい。
  • 死んでからのことを頼むより、今生きている時に心を伝える。




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